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西晉「儒教国家」と貴族制

西晉「儒教国家」と貴族制

支配理念としての「儒教」と国家的身分制である「貴族制」の解明から西晉国家の特質に迫る

著者 渡邉 義浩
ジャンル 東洋史(アジア) > 魏晋隋唐
出版年月日 2010/10/28
ISBN 9784762928826
判型・ページ数 A5・620ページ
定価 16,500円(本体15,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

【内容目次】
序 論 「儒教国家」と貴族制研究
第一節 儒教の「国教化」論と「儒教国家」の成立
董仲舒の宣揚/王莽の限界/聖漢の神聖化
第二節 中国貴族制と「封建」
六朝貴族と隋唐貴族制/貴族意識と国家的身分制/「封建」の時代
第一章 貴族制の成立
第一節 司馬氏の擡頭と西晉の建国
司馬懿の擡頭/正始の政変/五等爵制の施行
第二節 西晉司馬氏婚姻考
西晉成立以前の司馬氏/武帝司馬炎の後宮制度/身分的内婚制と貴族制
第三節 西晉における五等爵制と貴族制の成立
漢魏の爵制/西晉の五等爵制/五等爵制と貴族制
第四節 九品中正制度と性三品説
性三品説の展開/唯才主義と才性四本論/九品中正制度と皇侃の性三品説
第五節 陸機の「封建」論と貴族制
「封建」論の系譜/「五等諸侯論」の特徴/八王の乱と貴族制の堅持
第二章 「儒教国家」の再編
第一節 西晉「儒教国家」の形成
魏晉革命の正統性/泰始律令と『禮記』/經の「理」と君主権力
第二節 「封建」の復権
後漢「儒教国家」における諸侯の位置/「封建」論の台頭/西晉における諸王封建の正当性
第三節 「井田」の系譜
占田・課田をめぐる諸研究/井田思想の展開/占田・課田制と身分制
第四節 國子學の設立
漢代の博士/漢魏の太學/西晉の國子學
第五節 杜預の左傳癖と西晉の正統性
博学多通/孔子から周公へ/君無道
第三章 「儒教国家」の行き詰まり
第一節 西晉「儒教国家」の限界と八王の乱
外戚から宗室へ/皇帝弑殺/寒門と異民族
第二節 諒闇心喪の制と皇位継承問題
漢の権制と司馬炎の過礼/皇弟司馬攸と羊祜/兄弟相続と討呉問題
第三節 華夷思想と「徙戎論」
漢魏の華夷思想と異民族政策/阮种の対策と武帝の異民族政策/江統の「徙戎論」にみえる華夷思想
第四節 陳壽の『三國志』と蜀學
贊から評へ/西晉の正統化を優先/未来を指し示す/二つの讖文/季漢の正統を潜ませる
第五節 陸機の君主観と「弔魏武帝文」
孫呉の滅亡と陸機の上洛/「辯亡論」に見える君主観/「弔魏武帝文」の虚構
第四章 貴族の諸相
第一節 王肅の祭天思想
曹魏明帝の礼制改革と高堂隆/明帝の改制への司馬懿の支持/王肅説の「理」と鄭・王両説の行方
第二節 ケイ康の歴史的位置
臥龍と呼ばれ殺されし男/舜の無為/七不堪と二不可/言志の文学
第三節 杜預の春秋長暦
左傳學と暦法/杜預の春秋長暦の理念/杜預の春秋長暦の実態
第四節 司馬彪の修史
史書と正統性/漢家の故事/鑑としての史書
第五節 『山公啓事』にみえる貴族の自律性
山濤とケイ康/性と才/貴族の自律性
結 論
文献表・附表・あとがき・索引

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内容説明

【結論】より

 「儒教国家」とは、後漢以降の中国国家が、儒教の理念に依拠して支配体制を正統化することを表現するための分析概念である。(中略)儒教によりその支配を正統化される皇帝が、儒教の教養を持つ文人官僚と、その出身母体である在地勢力を利用した支配を行う、という伝統中国に固有な国家体制は、道教や仏教の隆盛後も引き継がれていく。西晉を建国する司馬氏は、曹魏に対する「名士」の反発を束ねて権力を掌握するなかで、「儒教国家」の再編を行っていく。本書で解明したように、西晉「儒教国家」では、国家の統治政策が経典の典拠を持つに至るのである。 一方、三国時代の支配階層であった「名士」は、西晉において貴族へと変貌する。中国の貴族制は、官僚制でも封建制でもなく、身分制として皇帝権力により編成された。国家的身分制としての貴族制は、五等爵制や士庶区別により皇帝が作り上げた国家体制の一部なのである。したがって、西晉「儒教国家」の国家体制を正統化する一環として、儒教は貴族制をも正統化する。そのための理念が「封建」である。始めて貴族制が成立した西晉の五等爵制以降、両晉南北朝の貴族制は、「封建」という儒教の理想的な統治理念に沿うものとして正統化された。「封建」という理念が、社会の分権化に対して、君主権力を分権化して、国家権力全体としての分権化を防ぐに足る内容を備えていたからである。ところが、西晉「儒教国家」は、太康元(二八〇)年の三国統一の後、わずか十数年の安定期を持つだけであった。八王の乱が勃発し、続けて起こった永嘉の乱によって西晉は滅亡、かろうじて司馬睿により、建武元(三一七)年に東晉が建国される。西晉滅亡の原因は、恵帝の不慧に帰せられることが多い。

しかし、滅亡の本質的な理由は、西晉「儒教国家」の限界、さらには国家の支配理念としての儒教そのものの限界にあるのではないか。

本書は、以上のような研究動向と問題意識のもと、西晉「儒教国家」と貴族制の形成、および西晉「儒教国家」の崩壊と儒教の限界を思想史を中心に解明したものである。

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