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「古典中國」における小説と儒教

「古典中國」における小説と儒教

『捜神記』『世説新語』の執筆意図と必然性、「史」のあり方との関係を探り「古典中國」の中に位置づける!

著者 渡邉 義浩
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 魏晋隋唐
出版年月日 2017/05/15
ISBN 9784762965920
判型・ページ数 A5・312ページ
定価 8,250円(本体7,500円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序 章 「近代中國」における「小説」の意味
 一、貶められる「小説」      
 二、「近代中國」と小説の宣揚   
 三、拡大解釈される魯迅

第一章 『捜神記』の執筆目的と五氣變化論
 一、『晉紀』總論と天人相關説     
 二、天人相關説の有効性  
 三、妖怪の生成理由          
 四、五氣變化論

第二章 干寶の『捜神記』と五行志
 一、『漢書』五行志と京房易      
 二、劉昭の司馬彪批判と鄭玄の『尚書大傳注』
 三、『宋書』・『晉書』五行志との相違 
 四、変異記述の精彩

第三章 干寶『捜神記』の孫呉観と蔣侯神信仰
 一、孫呉君主への評価         
 二、三國鼎立の歴史観     
 三、蔣侯神信仰

第四章 『捜神記』の引用からみた『法苑珠林』の特徴
 一、『法苑珠林』の引用する『捜神記』 
 二、天人相關説との対峙    
 三、五氣變化への反論

第五章 『世説新語』の編纂意図
 一、論語四科             
 二、貴族の特徴        
 三、貴族のあるべき姿

第六章 『世説新語』における貴族的価値観の確立
 一、淸談亡國論の超克         
 二、「竹林七賢」の評価    
 三、方達・隱逸の意義

第七章 『世説新語』における人物評語の展開
 一、「黨人」・「名士」の自律的秩序  
 二、九品中正制度における状と品
 三、貴族制下における貴族の自律的秩序

第八章 『世説新語』における王導の表現
 一、寛と猛              
 二、江東人士の登用      
 三、南北問題
 四、貴族の模範

第九章 『世説新語』劉孝標注における「史」の方法
 一、南朝系の博学           
 二、裴注の継承        
 三、劉孝標注の特徴

第十章 『世説新語』の引用よりみた『晉書』の特徴
 一、劉知幾の批判と王導傳     
 二、『晉書』の取材規準と謝安傳  
 三、「叛臣」桓温傳

終 章 「古典中國」における「小説」の位置
 一、『捜神記』と「志怪小説」     
 二、『世説新語』と「志人小説」

文献表/あとがき

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内容説明

「古典中国」とは、著者の提唱した用語(概念)であり、「儒教国家」の国制として後漢で成立した理想的国家モデルを言う。白虎観会議により定められた中国の古典的国制と、それを正統化する儒教の経義により構成される。「古典中国」の概念は、のちの中国に継承され、その時代時代によって新たなる展開を遂げた。


【あとがき より】(抜粋)

本書は、『「古典中國」における文學と儒教』(汲古書院、二〇一五年)の姉妹篇である。『「古典中國」における文學と儒教』では、「文學」が「古典中國」を根底から支える儒教、および強大な権力を持つ国家と、いかなる関係を取り結んだのか、という問題を分析した。これに対して、本書は、儒教そして国家から貶められていた小説が、なぜ「近代中國」の「文學革命」など新文化運動の中心に成り得たのか、という問題関心から、近代によって再評価された小説ではなく、「古典中國」における小説の位置を明らかにしようとした。その際、小説が本格的に記される唐の「傳奇」ではなく、六朝の「志怪」・「志人」を分析した点が本書の特徴である。

魯迅は、『古小説鉤沈』にまとめられていく六朝期の古小説収集の作業の中から、国民文学の嚆矢としての「志怪小説」・「志人小説」を発見した。「近代中國」における国民主義の形成の中で、『捜神記』『世説新語』を「小説」と位置づけることには、大きな意義があった。しかし、現代において、いつまでも両書を「小説」、あるいは「古典小説」という概念矛盾の言葉で表現することには違和感を覚えた。両書が記された六朝期に、文学が先験的に存在したとは考えられない。だからこそ、曹植・嵆康・陸機は文学を自覚し、その表現に命をかけた。それでも、『文心雕龍』や『文選』のように、「文學」は儒教から自立できなかった、と『「古典中國」における文學と儒教』の中に記した。六朝において、「小説」が自覚的に表現されていた、とは今回の分析からは考えられない。

『捜神記』は史書の五行志との関わり、『世説新語』は史書の列傳との関わりを持つが、それは共に五行志を支える儒教(天譴、天人相關説)、何を列傳に描くべきなのか、何を書くことが「史」なのかという儒教(春秋左氏學)の問題に収斂されていく。すなわち、この問題は、「史」と儒教との関係を追求することを要求する。今後『「古典中國」における史学と儒教』という研究を進めていく所以である。

歴史学から研究を始めたわたしの小説へのアプローチは、文化史全体の中で位置づけの追求にある。小説は、「古典中國」と「近代中國」とでは異なる位置づけを得ていた。その違いの理由は、儒教との関わりの中で説明される。実質的には『『捜神記』と『世説新語』の研究』に過ぎない本書を『「古典中國」における小説と儒教』と題する理由である。

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