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大東急記念文庫善本叢刊中古中世篇(15)国史・古記録・寺誌  新刊

大東急記念文庫善本叢刊中古中世篇(15)国史・古記録・寺誌
 

内容説明

日本文徳天皇実録 室町後期写 二冊
解題:山本真吾
(東京女子大学教授)

藤原基経(836-891)等勅撰。清和天皇の勅命により撰述された史書。菅原是善・嶋田良臣・都良香らも加わり元慶三年(879)に完成。文徳天皇の嘉祥三年(850)から天安二年(858)までの記録。全十巻。本書は三条西実隆が永正十二年(1515)に写した鈔本の転写本であるが、それをさほど下らない時期の書写と目され、その筆跡は三条西公条に極似する。国史大系の対校本の一で、底本の誤謬を訂する良本として知られる。日本語史の資料としても見るべきものがあり、宣命体の表記の伝承の姿を観察するうえで有益。 

中右記部類第二十八公卿勅使之抄
〔藤原宗通日記〕鎌倉前期写 一巻
解題:山本真吾

藤原宗忠著。『大東急記念文庫書目 第二』に書名「藤原宗通日記」とあるが、内容は藤原宗忠(1062-1141)の『中右記部類』第二十八臨時神事十「公卿勅使」の一部を抄出したもの。本書は、永久二年(1114)正月の公卿勅使発遣の際の記事で、冒頭部分「禰宜送菓子等給禄事」「櫛田川以舟渡事」以下、各の記事に見出しを施し、朱書で字句に校訂を加えていることが注意される。

年中行事秘抄
 鎌倉前期写 一軸
解題:小川剛生
(慶應義塾大学教授)

大江匡房原撰、中原師元増補か。仁和元年(885)、関白藤原基経が光孝天皇に献上し、清涼殿に立てた『年中行事御障子』に基づく、所謂「御障子文系年中行事書」の一つ。本文として正月元日四方拝から十二月晦日追儺に到る間の朝儀・年中行事を「〜事」として式日の下に列挙し簡単な注解を加える。そして上層や行間補書あるいは裏書の形でさまざな勘物を加えるのが特徴で、該本でも本邦の日記・故実書、漢籍の引用、さらに先例、口伝、有識者の言談などが補記される。延応元年奥書本の系統に属し、鎌倉前期の書写で、同系統の尊経閣文庫蔵本と同じまたはやや遡る時期と考えられ、現存最古写本と目される。特筆すべきは、該本の書写が成立から余り降らず、かつ丁寧であることから、親本の面影をよくとどめていることである。

祈雨日記 重要文化財 鎌倉初期写 一巻    
解題:奥田 勲
(聖心女子大学名誉教授)

成賢(1162-1231)著。第二十四代醍醐寺座主。内容は「日本後記」「三代実録」「村上天皇御記」から祈雨に関する記録を摘録したもの。紙背文書七通あり(別筆)。最初に「国史」として「日本後記」から天長元年(824)四月の条、さらに「三代実録」から貞観十七年(875)六月諸社に発願して雨を祈った事等が摘録される。「村上天皇御記」からの摘録に最も多くの筆が費やされており、中には雨に至らなかった例も引かれる。成賢は、叔父で師僧の勝賢から「祈雨法日記」を伝領しているが、成賢自身も祈雨に長けており、その法験により、法印、権僧都に叙せられた。

正安二年・正和六年具注暦  
鎌倉後期写 一巻
解題:山本真吾

尋覚(1282-1318)著。正安三年(1301)十月二日から十二月三十日、正和六年(1317)正月一日から八月十日に至る記事を収めた具注暦日記。書名は『大乗院(旧蔵)具注暦(日)記』とするのが相応しい。尋覚は一条家経息、興福寺大乗院慈信資、興福寺別当・長谷寺別当・薬師寺別当を歴任、大僧正。具注暦に尋覚が記した日記は、本書以外に、東京国立博物館・京都大学附属図書館に分有されることが知られる。本書の価値は、中世芸能(猿楽、能狂言)史、日本史学の中世寺院組織研究、特に興福寺の大乗院家の組織を考究する史料として重要である。加えて、院家の記した中世末期の漢文体日記として、日本漢文体の文体史、表記史の材料としても活用が期待される。

室町第行幸記 永徳元年写  一帖
解題:小川剛生

飛鳥井雅縁(当時は雅氏)著。永徳元年(1381)三月、後円融天皇が室町幕府将軍足利義満の室町第に行幸、六日間に亘って滞在し、遊宴を繰り広げた。天皇の将軍御所への行幸はこれを初例とする。この『室町第行幸記』は行幸の一部始終を記し、しかも原本であり、史料的価値が高い。さらに義満から贈られた引出物の目録、行幸賞として行われた叙位聞書、「蹴鞠条々」として二条為遠が十四日の蹴鞠に際し認めた折紙なども入手して転写している。記主を示す明徴はないが、雅縁の記と断じてよい。この記録は頭角を現しつつあった雅縁の若き日の筆致としても興味深いものがある。

松室家相伝古記録類一覧
〔応仁乱焼失目録〕 室町後期写 一幅
解題:月本雅幸

著者未詳。本資料は『大東急記念文庫書目』には「応仁乱焼失目録」として掲出されるが、地下貴族の松室家に相伝された日記、文書類の一覧と見られる。現存するのは二紙で、第一紙には古記録類、第二紙には文書箱の名が列挙される。末尾に、三箱が十五世紀後半の応仁の乱で失われたとする。松室家は秦氏、江戸時代の歴代の閲歴は『地下家伝』に掲載される。

醍醐座主記 鎌倉初期写 一軸
解題:奥田 勲

著者未詳。本文は漢文体と漢字仮名交じり文が混在し、墨点(訓点仮名あり)は書写と同筆。内容は、醍醐寺の僧の血脈とその説話的行実をまとめたもの。表題には醍醐寺の十一人の高僧の名が記されるが、加えて、本文中には「勝覚」と「元海」の間に「定海」の名が載る。「定海」は「勝覚」の弟子である。冒頭は醍醐寺開祖とされる聖宝(理源大師)の逸話、次に、初代座主観賢が聖宝に見出された話が続く。以下、例えば雨僧正とも呼ばれた仁海や他の僧の請雨に関する霊験、僧たちの逸話が語られる。

南都巡礼記 鎌倉中期写 一巻
解題:月本雅幸

本書はある貴人(「皇后ノ位」にあった人物)が建久二年(1202)に南都を巡礼した際、興福寺僧実叡がそれに同行し、各所の縁起、由来を注したもの。『建久御巡礼記』などとも称する。建久三年成立。建久二年の時点における南都の寺社の様子や当時伝わっていた伝承などを知ることができる文献として有用である。

熊谷蓮生自筆状〔縁起〕 
鎌倉初期写 一巻
解題:山本真吾

「縁起」と題される本書は、前半は「誓願状」と見られ、『法然上人行状絵図』第二十七熊谷蓮生に同文の記事を収める。この「誓願状」の花押と後半「奇瑞記」の花押は異なるが、筆跡は同一と見られ、この「奇瑞記」の花押及び筆跡と、清涼寺蔵『直実自筆誓願状』のそれと酷似していることから、本書二通ともに熊谷蓮生自筆と推定されている。 熊谷蓮生自筆の指定文化財(国重文)は四点が確認されており、本書がそれと認められれば、さらに自筆本が追加されることになる。本書の価値は、仏教史、特に蓮生の浄土宗、念仏の教えへの信仰心を窺う史料として貴重であるが、中世文学の軍記物、説話の研究材料としても有用。加えて、国語史上、鎌倉時代の文体の一特徴を具現する資料としても注目される。

尾道浄土寺縁起 嘉暦二年写 一巻
解題:山本真吾

沙弥道蓮著。嘉暦二年(1327)の奥書を有する本書は、焼失した尾道浄土寺の観音堂を再建するに際し、沙弥道蓮が発願時に記した願文である。浄土寺は、聖徳太子の創建と伝えられ、足利尊氏が戦勝祈願をした寺院としても著名。本書は、仏教史、特に尾道浄土寺の歴史・文化を知る資料として貴重である他、この種の日本漢文の語彙、語法、文体の史的展開を考察する資料としても活用が期待される。

河内国古市郡西琳寺旧記 
文永八年写 一巻
解題:山本真吾

『西琳寺文永注記』、『西琳寺縁起』とも称され、文永八年(1271)三月に「比丘惣持」が著した寺誌。「比丘惣持」は、日浄房惣持、西琳寺長老で叡尊の甥に当たるという。本書は、縁起事、寺号事、寺官事、堂舎事、僧宝等事、奇瑞事、寺務事の七箇条について記し、金石文、文書を多く引用している。また、所々に朱で惣持自身による追記があり、正応三年(1290)あるいはこれに近い頃に加えられたという。惣持自筆原本と見て差し支えない。本書により、七世紀前半の推古朝に創建されたと見られる西琳寺が、奈良時代から平安・鎌倉時代にかけてどのような変遷を辿ったかを知ることができ、また、引用された古記録の類は天平期の官僧の実態を窺う史料としても貴重である。さらに、国語文体史の資料としても活用が期待される。 

西国巡礼縁起 
室町末期(天文頃)写 一巻
解題:山本真吾

著者未詳。西国巡礼の起源を説いた縁起で、冒頭に威光聖人冥界譚及びこれに続いて花山院の巡礼創始譚を記すテキストのうちの一書である。これに続いて、西国三十三所観音霊場各地の御詠歌を記す。本書には「倶生神之自筆」「石起請文」「順礼之縁起日記次第」を徳道上人に渡したことや、花山院の同行に書写山性空上人を加えたりするといった細部において異同の存することも指摘され、末尾に配される観音の誓願、縁起次第を付す点でも本書の独自性を観察することができる。さらに、本書は漢文体で記される点も注意され、室町時代の表記体の変異の様相を窺ううえでも興味深い。 

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