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汲古叢書125 史記秦漢史の研究

汲古叢書125 史記秦漢史の研究

◎武帝と司馬遷の時代背景、『史記』秦漢史料の素材と編集の問題から出発し、古代国家の特質に迫る

著者 藤田 勝久
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 殷周秦漢
シリーズ 汲古叢書
出版年月日 2015/02/18
ISBN 9784762960246
判型・ページ数 A5・660ページ
定価 15,400円(本体14,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

【主要目次】
はしがき
序 章 簡牘・帛書の発見と『史記』研究
  一 『史記』注釈と出典研究
  二 『史記』の素材と出土資料
〔『史記』の年代学と出土資料/記事資料と出土書籍/秦漢資料と『史記』の取材〕
三 漢太史令と出土資料〔黄老思想、天文の資料/史に関する規定〕
四 『史記』成立の諸問題〔古伝説・説話と公羊学/『史記』『漢書』の編集〕
第一章 司馬遷と《太史公書》の成立
一 司馬談の遺言をめぐって         二 漢太史令の役割
三 武帝の時代―封禅と太初改暦       四 《太史公書》の成立
第二章 司馬遷の旅行と取材
一 二十歳の旅行について―司馬遷の生年   二 司馬遷の旅行と見聞
三 帝王の遺跡と諸民族―年代観と世界観   四 屈原・賈誼の人物評価
附篇一 『史記』陳渉世家のフィールド調査
一 『史記』陳渉世家の歴史叙述  二 陳楚故城と楚王墓、楚墓  三 陳渉の郷里・陽城古城
附篇二 『史記』の編集と漢代伝承
一 『史記』にみえる漢代の伝承  二 「鴻門の会」の伝承―樊噲列伝  
三 『楚漢春秋』と漢代伝承―項羽本紀
第三章 『史記』秦始皇本紀の歴史叙述
第一節 始皇帝と秦帝国の興亡
一 始皇帝の統一をめぐって―本紀(一)   二 始皇帝の統一事業と巡行―本紀(二)
三 『史記』秦始皇本紀の歴史観―本紀(三)
 第二節 始皇帝と諸公子について
一 始皇帝の夫人と扶蘇―婚姻と外交政策   二 二世皇帝と諸公子の出自について
三 秦帝国の政権構造と諸国
第四章 『史記』と里耶秦簡―秦帝国の地方社会
一 洞庭郡の里耶古城をめぐる情勢  二 里耶秦簡にみえる郡県制   三 秦帝国の滅亡と地方社会
第五章 『史記』秦漢史像の復元―陳渉、劉邦、項羽のエピソード
  一 『史記』陳渉世家の地方社会  二 『史記』高祖本紀の地方社会  三 『史記』項羽本紀の社会情勢
第六章 『史記』項羽本紀と秦楚之際月表―楚と漢の歴史観
  一 『史記』項羽本紀の構成         二 『史記』秦楚之際月表の構成 
三 戦国・秦漢における諸国の暦法      四 『史記』にみえる楚・漢の評価
第七章 項羽と劉邦の体制―秦と楚の社会システム
一 秦代の地方統治と情報伝達   二 秦の滅亡と項羽の体制     三 楚漢戦争期の体制と戦略
第八章 『史記』呂后本紀の歴史観
  一 『史記』にみえる呂后の人物像 二 『史記』呂后本紀の素材と編集 三 『史記』呂后本紀の歴史観
第九章 『史記』漢代諸表と諸侯王
第一節 張家山漢簡「秩律」と漢王朝の領域
一 「秩律」にみえる県の所属         
二 「秩律」にみえる漢王朝と諸侯王国
〔代国をめぐって/長沙国と武陵郡をめぐって/楚国をめぐって/梁国と淮陽国をめぐって〕
三 張家山漢簡「秩律」と楚国の領域
 第二節 漢代の郡国制と諸侯王―徐州楚王陵の印章・封泥
一 漢代初期の王朝と諸侯王         二 淮陰侯韓信の失脚と諸侯王
三 漢代の郡国制と東方社会―楚国の官制と領域
終 章 『史記』の歴史叙述と秦漢史
一 『史記』の取材と編集          二 『史記』の構造と歴史観 
三 秦漢時代の国家と地域社会〔『史記』秦漢史の歴史叙述/古代専制国家の概念/秦漢時代の県社会〕
  あとがき・初出一覧・『史記』篇目、『漢書』篇目・索引(文献と出土資料、事項)

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内容説明

【本書】より(抜粋)

 中国古代史の研究は、今日では文献史料と出土資料を利用することが一般的な方法となっている。しかし基本となる『史記』を文献テキストとして利用するためには、その当初の素材と編集をふまえた原形を理解する必要がある。本書は、こうした視点によって『史記』の史料的性格を考察し、歴史研究の基礎とする三部作の一つである。ここでは先人の研究や、出土資料を手がかりとしながら、科学的な資料学として『史記』秦漢史料がどこまで史実をふまえているかを知ろうとした。そのうえで古代統一国家と地域社会の再構成を試みた。中国の出土資料には、『史記』の素材となっていない資料も多くみられる。そこで『史記』秦漢史では、司馬遷が利用していない出土資料をふくめて、漢代までの文書・書籍のあり方と、社会背景を知る必要がある。またもう一つの問題として、歴史研究では出土資料の釈文を準テキストのように利用するのではなく、簡牘それ自体の機能に即した資料の位置づけが必要である。拙著『中国古代国家と社会システム』(汲古書院、二〇〇九年)は、こうした観点から、長江流域出土資料を初歩的に考察したものである。また秦漢史の研究では、長江流域の出土資料だけではなく、漢代西北の簡牘との比較や、中国のフィールド調査による考察も有益である。これによって『史記』史料の研究は、出土資料の全体のなかで位置づけることができる。この『史記』研究と並行する戦国秦漢史の展望は、拙著『中国古代国家と郡県社会』(汲古書院、二〇〇五年)でアウトラインを示している。・・・

 本書では、『史記』秦漢史料を分析して、その史実を考察してきた。その結果、古代中国では戦国七国のように大きな地域区分があり、それは政治的にみて西方の秦文化の体制と、東方諸国の体制に分けることができる。また東方の楚は、南方の文化圏でもある。秦帝国の成立と滅亡、楚漢戦争の時代は、こうした秦の体制(秦の社会システム)と楚の体制(楚の社会システム)を代表とする異なる文化圏の対立といえる。つまり秦帝国の内部には、習俗や習慣が違う地域社会を組み込んでいる。それを細かくみれば、郡県制という制度のなかで、ともに県レベルの領域にある社会を基礎単位とするものであった。漢王朝の成立後は、これらを一つの政治体制と漢文化に同化してゆく過程ということができよう。したがって司馬遷が《太史公書》を著述した武帝期は、戦国時代から始まる地域社会の統合に到達し、周辺にも郡県制を設置した時代である。このような体制は、いわば中国古代文明の成立といえるものであり、『史記』はその通史となっている。漢王朝の体制は、『史記』が完成したあとも前漢後半から後漢時代へと続いてゆくが、国家と地域社会の基礎は、その歴史叙述に示されている。このように『史記』秦漢史料と出土資料による研究は、司馬遷が描いた歴史叙述だけではなく、秦漢統一国家と地域社会の実像に近づけると考えている。

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