ホーム > 万葉集と東アジア世界

万葉集と東アジア世界 上

万葉集と東アジア世界

万葉歌人はいかなる環境において歌を詠んだのかー万葉集の「漢字表記」や「漢字のよみ」を 東アジアの国際的環境との関連で見直す!

著者 川勝 守
ジャンル 日本古典(文学)
日本古典(文学) > 上代万葉
日本史
日本史 > 古代
出版年月日 2020/04/15
ISBN 9784762966538
判型・ページ数 A5・532ページ
定価 6,600円(本体6,000円+税)
在庫 品切れ・重版未定
 

目次

はじめに
凡 例


第一章 日本古代国家の成立と東アジア世界
             ─万葉集巻一について─

  一、泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武(雄略)天皇
  二、高市岡本宮御宇天皇代 息長足日広額(舒明)天皇
  三、明日香川原宮御宇天皇代 天豊財重日足姫(皇極)天皇
  四、後の岡本宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇、後に後岡本宮に即位(斉明天皇)
  五、近江大津宮に天の下知らしめしし天皇の代 天命開別天皇、諡して天智天皇といふ
  六、明日香清御原宮天皇の代 天渟中原瀛真人天皇、諡して天武天皇といふ
  七、藤原宮に天の下知らしめしし天皇の代 高天原広野姫(持統)天皇、
             元年丁亥の十一年位を軽皇子に譲りたまふ、尊号を太上天皇といふ
  八、寧楽宮
 

第二章 飛鳥藤原期の政治変動と士婚及び葬送儀礼─万葉集巻二の相聞・挽歌について─

 第一節 相聞歌について  
  一、難波高津宮に天の下知らしめしし天皇の代 大鷦鷯天皇、諡して仁徳天皇といふ
  二、近江大津宮に天の下知らしめしし天皇の代 天命開別天皇、諡して天智天皇といふ  
  三、明日香清御原宮に天の下知らしめしし天皇の代 
                    天渟中原瀛真人天皇、諡して天武天皇といふ  
  四、藤原宮に天の下知らしめしし 高天原広野姫天皇の代 天皇諡して持統天皇といふ、
                  元年丁亥の十一年位を軽太子に譲り、尊号を太上天皇といふそ
 第二節 挽歌について  
  一、後岡本宮に天の下知らしめしし(斉明)天皇の代 
               天豊財重日足姫天皇、譲位の後は後岡本宮に即す  
  二、近江大津宮に天の下知らしめしし天皇の代 天命開別天皇、諡して天智天皇といふ  
  三、明日香清御原宮に天の下知らしめしし天皇の代 
                    天渟中原瀛真人天皇、諡して天武天皇といふ  
  四、藤原宮に天の下知らしめしし天皇の代 高天原広野姫(持統)天皇、
              天皇の元年丁亥、十一年位を軽太子に譲り、尊号を太上天皇といふ
  五、寧楽宮


第三章 律令文武官人の任務と作歌活動
             ─万葉集巻三の雑歌・譬喩歌・挽歌について─

 第一節 雑歌について    
 第二節 譬喩歌について    
 第三節 挽歌について


第四章 日本型相聞歌と律令文武官人の作歌活動
             ─万葉集巻四の相聞歌について─

 第一節 初期の天皇御製歌          
 第二節 額田王から柿本人麿・志貴皇子の時代
 第三節 大伴安麿・旅人・坂上郞女の時代   
 第四節 大伴家持と坂上郞女・大嬢母子の時代


第五章 遠の朝廷大宰府・九州官人の作歌と東アジア世界

 第一節 大宰帥大伴旅人と筑前国司山上憶良  
 第二節 筑前国司山上憶良の作歌とその地方行政


第六章 奈良京朝廷官人の公務と作歌

 第一節 元正・聖武両天皇、養老七年(七二三)より 
     神亀五年(七二八)諸離宮行幸随行歌人の歌
                 ─笠金村・車持千年・そして山部赤人─
 第二節 聖武天皇初期時代の中央朝廷官人と遠の朝廷九州官人の作歌活動
                 ─旅人・憶良・郎女等─
 第三節 聖武天皇天平時代中期の中央朝廷官人の作歌活動
                 ─郎女・家持等─
 第四節 天平時代後期聖武天皇の遷都と中央朝廷官人の作歌活動
                 ─内舎人家持等─


第七章 万葉集における宮廷歌の古典とその分類

 第一節 雑歌について
       天を詠む     月を詠む     雲を詠む   
       雨を詠む     山を詠む     岳を詠む 
       河を詠む     露を詠む     花を詠む 
       葉を詠む     蘿を詠む     草を詠む 
       鳥を詠む     故郷を思ふ    井を詠む 
       倭琴を詠む    吉野にして作る  山背にして作る 
       摂津にして作る  羈旅にして作る  問答 
       時に臨む所に就きて思を発す     物に寄せて思を発す 
       行路       旋頭歌

 第二節 譬喩歌について
       衣に寄す     玉に寄す     木に寄す 
       花に寄す     川に寄す     海に寄す 
       衣に寄す     絲に寄す     玉に寄す 
       日本琴に寄す   弓に寄す     山に寄す 
       草に寄す     稲に寄す     木に寄す 
       花に寄す     鳥に寄す     獣に寄す 
       雲に寄す     雷に寄す     雨に寄す 
       月に寄す     赤土に寄す    神に寄す
       河に寄す     埋木に寄す    海に寄す 
       浦沙に寄す    藻に寄す     船に寄す 
       旋頭歌

 第三節 挽歌について 羈旅の歌


第八章 万葉集における宮廷歌の古典とその分類

 第一節 春の雑歌について   
 第二節 春の相聞歌について   
 第三節 夏の雑歌について
 第四節 夏の相聞歌について  
 第五節 秋の雑歌について    
 第六節 秋の相聞歌について
 第七節 冬の雑歌について   
 第八節 冬の相聞歌について


第九章 万葉集における宮廷歌の古典とその分類

 第一節 雑歌について     
 第二節 相聞歌について     
 第三節 挽歌について


『万葉集と東アジア世界』上巻のあとがき

万葉集読み方用例
 [万葉集特別漢字・用語索引]
 [万葉仮名、二字以上語句索引]
 [短漢文語句索引]

索 引
[件名事項索引]
[件名・動物索引]
[件名・植物索引]
[人名索引]
[地名索引]ほか

このページのトップへ

内容説明

【「はじめに」より】(抜粋)

 本書はわが国の最初の国書・国民文学と言われる『万葉集』を国語・国文学また比較文学などの面での膨大な研究の上に、あえて「屋上屋を重ねる」愚を犯して「万葉集と東アジア世界」を論じようとするものである。ただ、私の「万葉集と東アジア世界」論はこのテーマから窺える、万葉集は万葉仮名を使って日本語の固有な表記を行っても、所詮は中国文化の傘の中でのできごとであり、また、中国古典文学の『文選』の焼き直しに過ぎないなどなど、万葉集への中国文化の影響を数えあげると言った著作では断じてない。万葉歌人たちがいかなる環境で歌を詠んだか、その環境を当時、天平時代とその直近の時代に即して東アジアの国際的環境との関連で広く捉えてみたい。この場合、環境を東アジア環境とした場合、当該時期の中国、朝鮮諸国との外交関係だけではなく、中国王朝の政治文化、当時の用語で言えば律令制度とのからみも考察視点の一になる。

 東アジアの地域文化は、中国文明・文化を中心とする。もちろんわが国の縄文文明・文化が一万数千年の長期に渉り中国文明・文化の先行的、平行的発展をしたごとく、中国周辺にも固有な文化伝統が存在した。だが、中国の漢字・漢文、皇帝─王以下の王権、身分秩序、官僚制や法制度(律令)その他税制・土地制度・兵制・貨幣制度・都市と村落制度、などなどの諸制度法典類などは、その導入がなければ日本が国家を中心とした高度な政治文化を作れなかったことに特に留意すべきである。それらはすべて中国淵源である。国家、王権のみでなく、一般社会の人々の精神生活に密接に関わる儒教・仏教、元号・暦・年中行事や娯楽、また詩歌や音楽、料理や遊戯娯楽の数々に至るまで実に多様な文物が中国大陸から我が国に当来した。金魚、ウメ(梅)やインゲン豆、などなど動植物の渡来も数多い。諸物文物は人の交流、往来があって初めて移動するものであることは忘れてはならない。波に乗って漂着して来たものはそう多くはない。

 万葉集は今日それが読書できる形が何時成立したか、またその漢字表現をいかに訓読するかの膨大な研究蓄積がある。原文の左注と呼ばれる注記に見える山上憶良大夫の類聚歌林などから言えば、すでに奈良朝天平時代にその検討が始まっている。柿本人麿のごときは簡単な数漢字で表現しているが、それを五七五七七の短歌のみならず、長大な長歌を殆ど送り仮名も付けずに和歌として読んできた。それは古代文献の古事記や風土記が元は口唱のみ、口から耳、耳から口への伝承で来たのである。それが奈良時代に漢字表記の形になり、それをいかに読むかが始まった。以来、一二〇〇年以上の伝統になった。

 近代における万葉研究はまた特別な経緯がある。それも近世本居宣長らの国学に系譜が遡る。或いは中世の仏教研究、特に本地垂迹説の反論たる反本地垂迹説や各種神道説、祝詞の研究などに遡る伝統も考慮すべきかも知れない。著者はそうした中世・近世の国学の研究の環境は単に日本国のみ一国を考えるのではなく、唐、高句麗・百済・新羅の東アジアが重要な精神世界であったことを考慮すべきと思う。

 膨大な万葉研究を全体としていかに把握理解するか、それが著者が近年数冊のデータベース研究で扱った三角縁神獣鏡及び正倉院鏡の研究の延長にある。特に後者の正倉院鏡の研究は万葉集成立の時と同時代だけに密接な関係を有する。本書との併読を願いたい。

 本書の執筆編集方針を凡例的に述べておきたい。まず、本書の素材は、高木市之助・五味智英・大野晋校注『萬葉集一~四』日本古典文学大系4~7、岩波書店、一九五七年〜一九六二年である。右頁に漢字のみの原文が載り、左頁にその訓読が載る。左右頁を通じて、万葉各歌の上部には頭注がつき、また和歌の頁の末には補注が付く。これが膨大な万葉研究の蓄積の集成となっている。それを本書ではデータベース研究として取り込む必要がある。

 データベース研究の第一はテキストデータベースであるが、漢字のみの原文は必ずしも研究の前提ではない。と言っても、上記の岩波書店日本古典文学大系4~7の『萬葉集一~四』の左頁の訓読は、読者が万葉集を文学として読めるようにする配慮から、原文の漢字を今日使用する漢字にほとんど改めている。そのために『萬葉集』の理解に大きな誤解を生むことがある。その一は、万葉集は万葉仮名で書かれているということがある。また、漢字の読みが奈良時代と今日では大きな差異があることから、内容が正確に理解されない可能性がある。そのため本書では可能な限り漢字原文と訓読文との併記を行った。それが著者の万葉集テキストデータベース作成の手続きを説明することなる。

【凡 例】

一、各歌について、まず古典文学大系萬葉集の右側のページを記入する。ついでその歌の訓読を左頁の訓じ方を参考に漢字仮名表記にする。右頁の漢字は可能な限り残すということを原則とするが、漢字は表意に限る。その漢字使用が現在と変化がある場合は次のように[ ]内に現在の漢字を示す。
開[咲]、落[散]、零[降]、奥[沖]、浪[波]、榜[漕]、事[言]、妙[栲]、細[栲]

二、頻出する念と相の現代漢字との対応表示は行わない。

念─思、相─会・逢・合・遭

三、漢字の難読は( )でルビを示す。

座(ま)、味沢相(あぢさはふ)、際(ま)

四、万葉仮名の内、一字一音的漢字仮名についてはゴチックの平仮名で表したが、理解を助けるために対象漢字を併記したこともある。

「布久思毛与ふくしもよ」「師吉名倍手しきなべて」

五、表意の要素が消えたその他の複数漢字音については通常の平仮名とした。

鶴(つる)・鴨(かも)・蟹(がに)・蝉(せみ)・鴦(おし)・谷(だに)・西(にし)・雲(くも)

六、その他十六を「しし」と読むなどは、その出てきたところで解説した。

七、ゴチックにした平仮名の理解の助けに[ ]に漢字を入れた。

 こ[漕]ぎたむ[廻]る。

八、漢字のよみと、その漢字の現在の使用漢字を[ ]内に併記して示すことがある。

九、脱字の補い、その他諸々の補注記は[ ]内に入れることとした。

十、文中や歌中で異体字を通常体漢字に改めた個所がある。

以上、ご批判ご指摘を願うところである。その訓読理解はあくまで従来の万葉研究の成果に立っていることは当然であり、岩波書店日本古典文学大系4~7の『萬葉集一~四』の頭注、補注を継承している。

ただ、いくらか著者の新発見があり、修正が出てくる。

 

 データベース研究のテキストデータベース作成の次の段階の研究は本書がとりあえず巻一から巻九まででも可能な課題は実施する。ただ巻十から巻二十まで含めての万葉集全体の研究は次回に行いたい。



The Man’yōshū and the World of East Asia

 

このページのトップへ