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日中戦争下のモダンダンス

日中戦争下のモダンダンス

◎何らかのプロパガンダを背負いながら、日中戦争下の大陸中国、日本を様々な形で移動・踊った舞踏家の創作動機・背景を考察する。

著者 星野 幸代
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 近現代
出版年月日 2018/02/06
ISBN 9784762966033
判型・ページ数 A5・224ページ
定価 6,600円(本体6,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次


序 章

 研究意義──文芸研究の重要な間隙    
 研究動機と研究対象
 研究背景                
 本書の構成

第一章 モダンダンス受容初期

 第一節 上海租界という舞踊空間
  はじめに──西太后の見たバレエ     
  一、モダンダンス受容の土壌
  二、上海租界という舞踊空間
 第二節 国語教育とレビューの間:黎錦暉と明月歌舞団
  一、黎錦暉の教員時代          
  二、蔡元培の美育思想と黎錦暉
  三、黎錦暉の発音矯正法

第二章 「日本人」であった舞踊家たち
  一、石井漠舞踊研究所          
  二、「日本一」の舞踊家・崔承喜  
  三、石井みどり舞踊団における蔡瑞月──慰問公演の目的
  四、「台湾の李彩娥」──有望なる少女舞踊家
  五、日本敗戦後

第三章 上海バレエ・リュス──日本統治下文化工作における小牧正英
  一、ナチス政権とドイツ・モダンダンス:日本への影響
  二、「上海におけるルシアンバレー」(一九四一年)
  三、“大東亜共栄圏確立のための文化的使命”(一九四三年)
  四、上海バレエ・リュス代表としての小牧正英

第四章 一九三〇年代上海・東京の呉暁邦──モダンダンスと演劇とのコラボレーション
  一、日本留学:左翼演劇人の中国人留学生たちとの交流
  二、呉暁邦と上海演劇界とのネットワーク構築:一九三三─一九三七年八月
  三、中法劇芸学校と上海劇芸社における活動:一九三八年一一月─一九三九年春

第五章 抗日運動における舞踊家・戴愛蓮 ──陳友仁、宋慶齢との関わりを中心に
  一、トリニダード・トバゴ華僑の一族
  二、第二次大戦前夜、欧州舞踊の状況と戴愛蓮における受容
  三、戴愛蓮と保衛中国同盟との接点
  四、戴愛蓮と抗日漫画との接点
  五、一九四〇─四一年の戴愛蓮の舞踊

第六章 重慶における呉暁邦、盛婕と戴愛蓮の活動──抗日舞踊と戦災児童教育
  一、新安旅行団における呉暁邦の舞踊教育
  二、呉暁邦、盛婕、戴愛蓮モダンダンス公演:重慶抗建堂にて
  三、育才学校舞踊クラス・音楽クラス合同音楽舞踊大会

結 び


参考文献
初出一覧
あとがき
人名索引

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内容説明

【序章より】(抜粋)

日中戦争期、帝国日本は対外的文化工作として日本帝国主義を賛美する舞踊の創作を奨励するとともに、国内向けには日本軍の士気を高め、銃後の増産を称揚する舞踊を後援した。これに対し中国人舞踊家は、中国大陸各地で舞踊によって抗日宣伝した。その狭間で、植民下の舞踊家たちは帝国日本で踊りながら故郷のための芸術を模索した。本書が対象とする時代は日中戦争から太平洋戦争前後すなわち一九三〇─四〇年代であり、対象とする事象は、何らかのプロパガンダ(国内宣伝・対中立国宣伝・対敵宣伝のいずれか)を背負っていた大陸中国・日本・台湾をめぐるモダンダンスである。これまで中国のモダンダンスないし日中の比較モダンダンス史に関する論著は、日本では皆無であった。では、それらには研究価値がないか、あるいは重要ではないのであろうか。例えば、中国にモダンダンスが存在したとしても、他の文芸とは切り結ぶことなく、時代社会を反映することもなく、個人的で一過性のものにとどまったのであろうか。無論、そうではなかった。中国のモダンダンスは、舞踊の性質上、音楽界と親和性があるのはもとより、話劇〈中国の近現代演劇〉の創作、上演と強く結びつき、話劇人たちが映画界にシフトするにともなって映画にコミットし、話劇スタッフである画家たちとも接触を持った。さらに米英知識人を主とする抗日組織に支援され、戦災児童教育にも深くかかわった。いわば中国モダンダンスは、ヨーロッパにおける舞踊がそうであったように、文学、演劇また様々な芸術の「結節点」であった。従って、本書は文芸界の知識人交流に軸足を置いた日中近現代舞踊史研究というスタンスをとり、同時に中国の各文芸研究の間隙をつなぐことを意識している。本書は前史・通史的な第一章と各論である第二~六章から構成される。まず第一章では、民国期中国におけるモダンダンスの受容を、上海を中心に概観する。清朝のごく限られた貴族階級で受容されたモダンダンスから、それを教養として受容した五四時期の知識人たちに触れ、一九三〇─四〇年代中国におけるモダンダンス受容の要となった上海で踊られた舞踊を概観する。第二章では、植民地出身の舞踊家たちの中から台湾の蔡瑞月、李彩娥に焦点を当て、関連して朝鮮の舞踊家・崔承喜の彼女たちへの影響を視野に入れつつ、戦時期のそれぞれの舞踊活動を追う。その際、戦後の故郷における舞踊発展への貢献をも合わせて考察する。第三章では、上海で発生した当初は白系ロシア人を中心に結成されながら、戦時期には日本に接収され、日本の文化工作を担ったダンス・カンパニー、上海バレエ・リュスについて、唯一の日本人ダンサーであった小牧正英を中心に、その活動と中国モダンダンス史との接触を考える。第四章は、一九三〇年代の呉暁邦にスポットをあて、彼が東京で三回の舞踊留学をしながら上海で舞踊研究所を開き、東京と上海で中国演劇人とのネットワークを築き、その過程で上海文芸界におけるモダンダンスを位置づけていく様を跡づける。第五章では、英国領トリニダード・トバゴ出身で、英国に渡りアカデミックなバレエ及びドイツ・モダンダンスを学んだ華僑・戴愛蓮が、ロンドンにおける中国支援運動を経て香港に帰国後、中国保衛同盟、宋慶齢といった政治的なスポンサーのもと、バレエ、モダンダンスを通じて抗日活動をする様を追う。第六章では、呉暁邦、戴愛蓮のモダンダンスが戦災児童教育支援という形で合流するまでをたどり、重慶で彼らが開いた抗日義援金のための舞踊コンサートと戦災児童教育のためのコンサートの内容を考察する。

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