ホーム > 六朝文評価の研究

六朝文評価の研究

六朝文評価の研究

◎文学作品を数値化して評価する初めての試み ―その基準と方法―

著者 福井佳夫
ジャンル 中国古典(文学)
中国古典(文学) > 漢魏六朝
出版年月日 2017/01/27
ISBN 9784762965791
判型・ページ数 A5・628ページ
定価 16,500円(本体15,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

まえがき

第一章 曹丕「典論論文」の文章
 一 「典論論文」研究史 
 二 困難な主題把握  
 三 政治的意図
 四 論旨の矛盾     
 五 採録時の添削   
 六 友情物語への改編

第二章 陸機「文賦」の文章
 一 「文賦」の評価   
 二 満腔の自信    
 三 豊麗な語彙
 四 「対偶+比喩」表現 
 五 うるわしい自然  
 六 儒道の使いわけ
 七 断章取義ふう典故  
 八 意図的な楽観主義

第三章 沈約「宋書謝霊運伝論」の文章
 一 文学ジャンルとしての史論
 二 「謝霊運伝論」の評価
 三 意図的な名実不一致
 四 文学史的記述の価値
 五 陸賦・范書との関係 
 六 硬質の美     
 七 清弁の行文

第四章 劉勰「文心雕龍序志」の文章
 一 駢散の兼行     
 二 行文のくどさ   
 三 渋阻なる多し 
 四 行文の難解さ
 五 律儀な叙しかた   
 六 典故の混乱    
 七 推敲不足   
 八 おおいなる実験

第五章 裴子野「雕虫論」の文章
 一 「雕虫論」研究史  
 二 『宋略』の執筆  
 三 美文への志向 
 四 地味な語彙
 五 生呑活剥の典故   
 六 「喩虜檄文」の文章
 七 文学復古派での位置

第六章 鍾嶸「詩品序」の文章
 一 破格な調子     
 二 希薄な対偶意欲  
 三 ぞんざいな典故利用
 四 杜撰な措辞     
 五 個性的な表現   
 六 散在する不具合
 七 粗削りの魅力

第七章 蕭統「文選序」の文章
 一 「文選序」研究史  
 二 対偶への配慮   
 三 論理としての比喩
 四 中庸の語彙     
 五 折衷志向     
 六 序文代作説   
 七 温雅な人がら

第八章 蕭綱「与湘東王書」の文章
 一 「与湘東王書」の執筆
 二 姚思廉の誤解   
 三 艶詩との関係
 四 不用意な対偶    
 五 文壇の現場報告  
 六 好悪の情    
 七 きかんぼう

第九章 徐陵「玉台新詠序」の文章
 一 卓抜した修辞    
 二 才色兼備の麗人  
 三 謙虚な姿勢
 四 幸福な一致     
 五 麗人編纂説    
 六 仮構の玉台

第十章 李諤「上隋高帝革文華書」の文章
 一 美文による官人登用 
 二 篤実な対偶研究  
 三 硬軟語彙の使いわけ
 四 実務的文章の改革  
 五 文学と政治の相関

附篇一 太安万侶「古事記序」の文章
 一 絢爛の文      
 二 非美文ふう表現  
 三 和習的表現
 四 和習おおき報告書  
 五 過剰な擁護

附篇二 「懐風藻序」の文章
 一 積極的な対偶意欲  
 二 洗練された句法  
 三 純文学志向
 四 感傷性       
 五 追慕の情

結語 六朝文の評価
 一 文章技術からの評価 
 二 優劣の実際    
 三 評価基準の構築
 四 評価の指標 

                        
あとがき
索 引

このページのトップへ

内容説明

【まえがきより】(抜粋)

  文学の良否を論じ優劣を断じるのは、それほど簡単ではない。個人的な感想や好き嫌いを、かたればよいわけではないからだ。もとめられるのは、やはり中正にして公平な評価だろう。そのためには、主観にかたよらぬ、客観的な評価基準が必要になってこよう。そうした客観的な評価基準のひとつとして、文章技術的な基準が有望ではあるまいか。というのは、私が専攻する六朝期の文章作品では、「四六駢儷の体でかけ」という技術的規範が存在するからである。すると、その規範にかなったものが巧妙で、かなわなかったものが拙劣だという評価が可能になってこよう。きちんとした評価をくだすには、前提としてきちんとした基準が必要になるのだが、六朝期はかかる規範が存するため、評価の基準も明確なのである。その意味で六朝の文章作品は、例外的に評価がやりやすい分野だといってよかろう。

では、文章技術的立場から評価をおこなうとすれば、具体的にどのような基準をつくればよいだろうか。たとえば声律をととのえた文章が、そうでないものより高級である。おなじく、対偶、四六、典故、錬字を多用した文章が、そうでないものより洗練されている。さらに対偶では、[対立した内容をならべた]反対のほうが、[相似した字句をつらねた]正対よりもすぐれる。錬字は多用してよいが、口語ふう語彙はつかわぬほうがよい――などがあげられよう。

本書では、そうした基準をやや精細にルール化し、そのうえで当該作はどの点ですぐれ、どの点ですぐれないのかを調査してみた。そのさい、客観性をもたせるため、声律や対偶、四六などの充足ぶりや多寡を数字でしめしてみた。かく修辞の多寡を数字でしめして、それを比較するという試みは、あまりなかったようにおもう。修辞を重視する六朝の文学では、こうした技術方面からの[数字による]評価は重みがあり、また主観のはいりにくいぶん、客観性も担保されやすいだろう。

もっとも、そうした技術方面からの数字だけで、文学作品の評価を決定できるわけではない。創作の時期やジャンルの別、さらには内容の違いなどを無視して、いきなり対偶率や四六率などを比較しても、適切な評価ができるとはかぎらない。そのため章によっては、作品の内実にわけいって、内容と文体の相関をあれこれ論じた議論もあるし、またテキストそれ自体への疑問を呈した場合もある。文章技術方面からだけでは、適切な評価ができないとおもわれた場合は、補助的にそうした方面にも検討をすすめていった。これを要するに、本書では「作品Aはこれこれの内容である」というだけでおわらず、文章技術的な価値判断を基本にしつつ、他の要素も勘案しながら、文学作品としての価値を論じ、その評価をかんがえていったのである。

この書では、六朝の文学批評の文章と、その影響をうけた日本上代の同種の作をとりあげた。具体的にいえば、曹丕「典論論文」や陸機「文賦」、沈約「宋書謝霊運伝論」などからはじまり、附篇の太安万侶「古事記序」と無名氏「懐風藻序」まで、あわせて十二篇である。なぜこれらの作をとりあげたのかといえば、この種の文章は旧時から重要な作として注目をあび、いろいろな評言、つまり作品評価をくわえられてきているからだ。文章技術方面から評価をくだし、その評価の妥当性を測定するには、なるべく[技術方面とことなる]他方面からの評価とも、比較できたほうがよいとかんがえたのである。

その結果、文章技術的な評価と旧時の[他方面からの]評価とは、批評の基準や着眼点がことなるとはいえ、たがいに齟齬するよりも、むしろ相補的な関係になっているようにおもわれた。前者は客観的な基準に依拠し、後者は直感的な判断にかたむいているのだが、長短あいおぎなって、結果的に過不及のない納得できる評価にいたってゆくのが、私にはおもしろく感じられたのだった。

こうした、技術的立場からの評価を旧時のそれと比較しながら、一致点を確認したり、相違する理由をさぐったりすることは、これからの文学研究にも、役だつのではないかとかんがえる。なぜなら、本書では不じゅうぶんなままでおわったが、両方面の評価を吟味しながら、その着眼のしかたや褒貶の判断パターンを比較してゆけば、おのずから旧時の文学評価のメカニズム(いかなる観点から、いかなるやりかたで、いかに評価していたか)が浮きぼりになってくることだろう。そして旧時の評価メカニズムが浮きぼりになれば、評価がなされていない六朝期の作品に対しても、「作品Aは当時どう評価されていたのか」が、[主観や恣意に左右されず]合理的に推定できるようになるとおもわれるからである。

このページのトップへ