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汲古叢書170 清朝支配の形成とチベット

汲古叢書170 清朝支配の形成とチベット

◎満洲語・チベット語・モンゴル語の文献を駆使して清朝のチベット支配を明らかに!

著者 岩田 啓介
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 明清
シリーズ 汲古叢書
出版年月日 2021/12/16
ISBN 9784762960697
判型・ページ数 A5・344ページ
定価 9,900円(本体9,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序章 清朝支配とチベット
 第一節 清朝の拡大とチベットの関係     
 第二節 先行研究と本書の視座
 第三節 本書の構成             
 第四節 史料
 第五節 青海ホシュート部の系譜

第一章 ダライ゠ラマ政権と結びつく青海ホシュート部の構造
 第一節 青海ホシュート部のチベット人支配  
 第二節 青海ホシュート部の二極構造

第二章 ガルダン戦争の青海・チベット政策への影響
 第一節 青海ホシュート部首長層の北京入朝  
 第二節 ラサン゠ハンの実権掌握
 第三節 郡王エルケ゠バルジュルの死と青海ホシュート部内の分裂

第三章 新ダライ゠ラマ六世擁立に伴う政治過程
 第一節 新ダライ゠ラマ六世冊封の経緯           
 第二節 ラサン゠ハンによる新ダライ゠ラマ六世擁立の背景

第四章 リタンの童子擁立による介入強化
 第一節 リタンの童子即位計画失敗の背景   
 第二節 青海への介入の本格化――盟長の創設――

第五章 ジューン゠ガルのチベット襲撃による軍事介入
 第一節 ジューン゠ガル来襲による反ラサン派の懐柔
 第二節 チベット王の廃止とロブサン゠ダンジンの「乱」

第六章 盟旗制によるチベットと青海モンゴルの断絶
 第一節 青海モンゴルとチベット人の間の統属関係解消
 第二節 対ジューン゠ガル戦の軍事動員からみる盟旗制の運用
 第三節 牧地の画定からみる清朝の政策方針

結章 チベット政策からみる清朝支配

史料・参考文献
図表目次
あとがき
索引
図表目次
 【図1】17世紀後半の内陸アジア諸勢力図
 【図2】『王公表伝』に基づくダヤン゠ハンの家系の系図
 【図3】『パクサム゠ジュンサン』所収のダヤン゠ハンの家系の系図
 【図4】青海ホシュート部の系譜
 【図5】1656年に青海ホシュート部の属下とされたチベット人の分布
 【図6】ドパ・シナをめぐるオンボ系首長による相続図
 【図7】1697年末の青海ホシュート部首長層の行動と
                 ジューン゠ガルとの婚姻
 【図8】1698年から1709年の貝勒以上の爵位の推移
 【図9】ジューン゠ガルのハミ襲撃関連地図
 【図10】1716年から1719年の青海ホシュート部の盟長
 【図11】1711年から1723年の貝勒以上の爵位の推移
 【図12】ノルブの乱関連地図
 【図13】盟旗制にともなう青海モンゴルの牧地の移動

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内容説明

【序章より】(抜粋)

 17世紀初頭、東北アジアのマンチュリアからヌルハチ(1559–1626)を中心とする満洲人が勢力を拡大し、漠南のモンゴル諸集団を支配下に収めて1636年に清朝を建国すると、1644年には明朝に代わり漢地の支配を開始した。漢地の支配を安定化させた清朝は、17世紀末には漠北のハルハ゠モンゴルを支配下に編入し、18世紀前半にチベットへと影響力を拡大して、1755年にはジューン゠ガルを滅ぼして東トルキスタンに支配を打ち立てる。かくして清朝は、マンチュリア・漢地・モンゴル・チベット・東トルキスタンに及ぶ帝国へと発展するのである。本書は、この17世紀後半から18世紀中葉にかけての拡大期における清朝とチベットとの関係にスポットライトを当てて、多様な地域・集団を包摂する清朝支配の形成のあり方を探究するものである。

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