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『夢占逸旨』の研究

―中国の「夢」の思想

『夢占逸旨』の研究

◎夢・占夢という思想そのものに儒者はどう向きあったのか―

著者 清水 洋子
ジャンル 中国思想・哲学
中国思想・哲学 > 明清
出版年月日 2019/01/29
ISBN 9784762966231
判型・ページ数 A5・430ページ
定価 12,100円(本体11,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

口 絵 
はじめに


論考篇

 第一章 陳士元の夢の思想――「真人無夢」をめぐって
  一 宋儒の理解             
  二 『夢占逸旨』の反論(「赤子の心」)
  三 夢の理論(発生とその位置づけ)

 第二章 『夢占逸旨』の占夢理論について――『周礼』の占夢法との関係から
  一 『夢占逸旨』における天象観測の重要性
  二 占夢の事例に対する分析――『夢占逸旨』外篇について
  三 「五不占」と「五不験」

 第三章 『夢占逸旨』版本の系譜と修訂意図について
            ――内篇異同箇所の考察から版本間の異同について

 第四章 夢書の受容に関する考察――『夢占逸旨』を例として
  一 明清の図書目録における夢書
  二 『夢占逸旨』の流伝について
  三 陳毅による題記
  四 『夢占逸旨』嘉靖本について
  五 明代における夢書の展開


訳注篇 (『夢占逸旨』 内篇巻一、 巻二)
※訳注本文については、本書に収録するにあたり底本の変更(道光本から嘉靖本へ)を行った。それに伴い【校異】【書き下し文】【現代語訳】【注釈】の全てについて見直しを行った。

凡 例
序 文
 
夢占逸旨目録
真宰篇第一
長柳篇第二
昼夜篇第三
衆占篇第四
宗空篇第五
聖人篇第六
六夢篇第七
古法篇第八
吉事篇第九
感変篇第十

解説――『夢占逸旨』と陳士元について
あとがき
初出一覧
引書一覧
索 引

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内容説明

【はじめにより】(抜粋)

『夢占逸旨』は、明代中期の儒者・陳士元(一五一六~一五九七)が編纂した夢書である。夢と占夢について論じる内篇十篇と、夢の事例を中心とする外篇二十篇とから成る。『夢占逸旨』が刊行された一五六二年(嘉靖四十一年)は、十二代皇帝世宗の治世にあたる。これは西洋学術の流入や北虜南倭の事変勃発など、海外諸国との関係も大きく変動した時期であり、国内では学術文化の転換期でもある。

特に、王陽明の在世中にかかる嘉靖年間は心学が大いに支持されたことで理学の衰退と心学の復興が顕在化したほか、独創的な経典解釈が好まれたため、経学や訓詁の学は衰退の一途を辿った。庶民の生活環境も大きく変化した。生活水準が向上し、教育が普及するほか、嘉靖から万暦にかかる刻書印版の盛行により、叢書、類書、辞書、別集が続々と編集刊行され、民衆の知識水準も向上した。こうした時代の流れに乗り、人々の興味関心は大きな広がりをみせていく。おそらく「夢」もその一つであり、個人の安心立命の拠りどころとして、また精緻な幻想世界を創り出すモチーフとして享受されたものと思われる。しかし、急速な情報化社会と豊かな大衆文化の到来は、「夢や占夢の伝統的なありかた」を希薄にすることにもなった。中国古代において、夢や占夢は国の大事を読み解く媒体として神聖視された。

殷墟で発見された甲骨文字史料の中では王が夢の意味を問い、儒家経典の『周礼』では占夢官による占夢の方策を記している。しかし、時代も変われば夢や占夢のありかたも変わる。明代中期頃の人々にとって、古代人の見た夢と占夢は既に過去の遺物であっただろう。この「遺物」に目を向け、夢と占夢の伝統的なありかたを思索し、「夢とは何か」「占夢とは何か」という問いを投げかけたのが『夢占逸旨』であった。「逸旨」とは、すでに失われてしまった夢と占夢の姿を取り戻そうという陳士元の思いを反映する語であろう。こうして刊行された『夢占逸旨』は、万暦に入ると個人選集『帰雲別集』にも収録され、清代の嘉慶年間(一七九六~一八二〇)には呉省蘭輯『芸海珠塵』が、道光年間(一八二一~一八五〇)には『帰雲別集』重刻本が刊行された。嘉慶・道光といえば、日本では江戸時代後期にあたる。

正確な時期はわからないが、江戸時代の日本でも『夢占逸旨』は読まれたようである(江口孝夫『日本古典文学 夢についての研究』、風間書房、一九八七年)。夢の理論書と事例集(読み手によっては自身の夢を占うための占夢書)とを兼ねる『夢占逸旨』は、中国の夢研究における成果の一つとして認知されていたことが窺える。……本書の主眼は『夢占逸旨』の翻訳のみではなく、その思想を明らかにするという点にある。そのため、本書では『夢占逸旨』に関する「論考篇」と、内篇のみを対象とする「訳注篇」の二部構成を取っている。論考篇には、『夢占逸旨』の思想的内容を中心に論じる二章、 嘉靖本の流伝や諸版本の比較などについて論じる二章の計四章を収録する。第一章では、道家系文献に由来する「真人不夢」(高い精神性を持つ聖人は夢を見ない)に対し、いわば反「聖人不夢」論を唱えた陳士元の思想的特質について考察する。そして、『夢占逸旨』における占夢理論構造について考察する。第二章では、陳士元の示す占夢理論が古代文献『周礼』の占夢法を基礎としつつ、人間の行動論や精神的問題を取り入れて構築されたものであることを論じる。また、考察の過程では、『夢占逸旨』外篇についても言及する。第三章は、版本間の異同についてまとめたものである。版本間の異同を比較検討し、各版本の特色や版本としての精度を明確にすることを目的としている。第四章では、筆者が二〇一二年に実施した嘉靖年間本の調査結果をもとに、従来の説を修正しつつ、『夢占逸旨』の版本系統および嘉靖年間本流伝の経緯について論じる。「訳注篇」についても概要を示しておく。本訳注は、二〇〇八年から二〇一三年の間に『中国研究集刊』にて連載した「『夢占逸旨』内篇訳注(一)~(七)」を基礎としている。これは、道光年間『帰雲別集』重刊本を底本とし、対校本として『芸海珠塵』本を使用し、両者の異同も附すものであった。ところが二〇一二年、筆者は偶然にも、これらの版本を遙かに遡る嘉靖年間本と万暦年間『帰雲別集』本が、台湾の中央研究院傅斯年図書館に所蔵されていることを知ったのである。そこで同年夏にこれらを調査したところ、その内容は従来の版本と大きく異なり、また、これまで執筆してきた訳注にも修正を要する内容を含んでいた。そこで訳注連載終了後、筆者は訳注の改訂に着手し、現在ようやくその改訂を終えることができた。また、本訳注が内篇のみを対象とする理由についても簡単ではあるが述べておきたい。『夢占逸旨』はその書名から占夢書と思われやすいが、実際は夢や占夢に関する思想書という特徴を非常に強く持っている。したがって、『夢占逸旨』理解のためには、その特徴を顕著に示す内篇の全貌を明らかにする必要がある。もちろん、夢の事例集である外篇にも興味深い点は多々あるし、思想的傾向を窺い知ることのできる箇所も確認できる。但しそれは僅かであり、大部分はやはり経書史書などから引用する夢の事例である。「外篇」という名前からも、本篇の位置づけはやはり内篇の補完という点にあるのだろう。以上の状況から、筆者は今回の訳注の対象を内篇に絞ることにした。また、内篇の理論は、陳士元が修めた儒学を中心に、さまざまな文献を拠りどころとするため、本訳注ではこれらに関する語注も附している。 理解の一助となれば幸いである。



The studies of “Meng zhan yi zhi”――Thoughts of dreams in China――

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