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高麗王朝の儀礼と中国

高麗王朝の儀礼と中国

◎中国王権儀礼は高麗王朝に何をもたらしたのか

著者 豊島 悠果
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 朝鮮
出版年月日 2017/03/16
ISBN 9784762965852
判型・ページ数 A5・360ページ
定価 9,900円(本体9,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序 章 朝鮮における中国儀礼の受容――古代から中世へ―― 
 第一節 高麗王朝以前の礼制受容       
 第二節 高麗の礼制整備と本書の課題

第一章 高麗開京の都城空間と思想
 第一節 開京の城郭
 第二節 都城空間と思想 
 (一)風水地理説の影響  
 (二)仏教寺院の役割  
 (三)儒教的祭祀施設の整備
 第三節 「皇帝国体制」と開京

第二章 高麗前期の后妃・女官制度
 第一節 高麗前期の后妃の称号体系
 (一)王の母と嫡妻の称号 
 (二)妾の称号     
 (三)新羅制の影響
 第二節 高麗の女官制度
 第三節 国王の婚姻形態

第三章 高麗前期の冊立儀礼と后妃
 第一節 中国儀礼との比較を通じて見た高麗冊王妃儀の特徴
 (一)高麗の冊王妃儀と中国の冊皇后儀       
 (二)高麗冊王妃儀の特徴
 第二節 高麗冊太后儀の特徴とその成立について
 (一)冊太后儀・冊王妃儀の違いと王太后・王妃の地位
 (二)『高麗史』礼志冊太后儀の成立と中国の冊皇太后儀
 (三)宣宗三年の冊太后儀を取り巻く政治状況と儀礼の意義

第四章 高麗の宴会儀礼と宋の大宴 
 第一節 高麗と宋の大宴
 (一)高麗の大宴     
 (二)宋の大宴     
 (三)宋の大宴を通してみた高麗の大宴
 第二節 高麗の宴会儀礼における大宴の影響
 (一)燃灯・八関会の宴会儀礼と大宴の関係     
 (二)高麗における大宴の導入

第五章 高麗文廟祭祀制度の変遷にみえる宋・元制の影響
 第一節 文廟の設置と移転
 第二節 文廟祭祀対象の変遷と中国制の影響
 (一)高麗前期の配享・従祀神位と宋制       
 (二)高麗後期の配享・従祀神位と元制
 第三節 武廟の非受容

第六章 一一一六年入宋高麗使節の体験――外交・文化交流の現場――
 第一節 一一一六年の入宋高麗使節とその関連史料
 (一)『東人之文四六』および『東文選』中の関連史料について
 (二)一一一六年の使節とその麗宋通交史における位置
 第二節 宋における高麗使節の行動と待遇
 (一)明州定海県に上陸し開封へ          
 (二)開封滞在中の体験
 (三)開封から明州に下り渡海して高麗へ
 第三節 一一一六年の入宋高麗使節を通じてみた文化交流と麗宋関係の一側面
 (一)入宋使節の体験と高麗文化
 (二)宋朝における高麗使節の立場に関する問題
  ――主に政和年間の高麗使節優遇策について――

第七章 金朝の外交制度と高麗使節――一二〇四年賀正使節行程の復元試案――
 第一節 麗金関係と外交使節
 (一)麗金関係の沿革   
 (二)麗金間の使節
 第二節 高麗開京から金中都への道程
 (一)開京から鴨緑江   
 (二)鴨緑江から東京遼陽府  
 (三)東京遼陽府から金中都
 第三節 金朝の外国使節応接制度
 (一)中都における外交儀礼――宋使節の記録から――   
 (二)一二〇四年高麗賀正使節の行程

終 章 高麗儀礼の整備過程と国際環境
 第一節 高麗における王権儀礼の整備過程
 第二節 高麗儀礼の形成と国際環境
 (一)各儀礼の導入時期と宋制の影響  
 (二)北東アジア諸王朝間の関係が及ぼした影響
 第三節 外交儀礼の整備と遼・金朝の関与
 (一)「迎北朝詔使儀」における高麗王と使臣の面位の解釈について
 (二)遼・金による高麗外交儀礼への介入
結びにかえて

あとがき/索 引

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内容説明

【序章より】(抜粋)

朝鮮半島に興亡した諸王朝は中国との外交関係を継続し、官僚制や法制、礼制といった王朝支配の根幹をなす制度において中国制を参酌しつつ、支配体制の枠組みの形成にいかしてきた。高麗時代はそれが一段と深化した時期であるといえる。これらの諸制度はある時は主体的に導入、運用され、ある時は国際秩序内における自国の立場にもとづく改制を余儀なくされた。国内における王権の位相や国際秩序における自国の位相を可視化する王権儀礼において、こうした面はより顕著であったといえよう。これまで朝鮮の儀礼に関する先行研究の多くが、儀礼に投影された対中国関係を中心とした国際秩序に言及している所以である。

高麗時代、王朝の支配層による中国礼制の研究や、中国的な王権儀礼の導入は、残存する史料の多寡の問題を加味しても、前代に比して顕著に質・量的な増加をみせる。これによって、仏教や山川信仰、水地理説といった、すでに社会に浸透し、濃淡はあれど王朝の支配体制とも結びついていた思想に加え、儒教がその比重を増したと言えようし、また支配層の認識する王朝の「体裁」が中国のそれに近づいたことも想定される。むろん「中国」といっても、四七五年間におよぶ高麗王朝の存続期間には、中原とその東北・西北地域では幾たびも王朝が交代した。高麗はそのうち後唐・後晋・後漢・後周・北宋・遼・金・元・明の冊封を受けたが、各王朝との宗属関係の内容は均質でなく、各王朝との関係が高麗にもたらした影響も別個の考究対象である。また、例えば『高麗史』巻七二輿服志の序文では「毅宗朝、平章事崔允儀、祖宗の憲章を裒集し、唐制を雑采して古今礼を詳定す」と述べ、高麗前期の礼制の集大成として『高麗史』礼志にも多く引用される『詳定古今礼』には、唐の制度が取り入れられているという理解を示している。高麗の諸制度に唐・宋の影響が大きいことは、麗末の官僚李穀が「本国は、法唐体宋にして、世文士を尚ぶ」と言っているように、高麗人自身も認識していた事実である。しかし、こうした史料上の言及は大略を伝えるにとどまり、高麗に影響を及ぼした中国礼制が、どの時期のどのようなものであり、どのような国際状況を背景に導入されたのかは、自明ではない。

本書は以上のような点をふまえ、中国的な王権儀礼の導入と運用の具体的様相に関する究明を主軸として、高麗儀礼の形成を社会的、国際的背景とともに考察するものである。もとより朝鮮半島地域の文化形成を、中国文化の受容・展開という側面のみから論じるつもりはないが、社会・文化史関連史料が豊富とはいえない高麗時代史研究の環境を考慮すれば、中国文化の受容における高麗的特徴を分析することによって、高麗社会の特徴を論ずる手がかりを得ることもできるという利点を放棄する必要もない。さらに、中国儀礼の受容という現象が朝鮮のみならず東アジアの他地域でもみられることを考えれば、高麗王朝の事例を検討することは、他地域との比較の視点を提供し、東アジア文化圏と呼ばれる諸地域の共通性と独自性を把握するための土台を構築することになろう。

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