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モンゴル帝国期の北東アジア

モンゴル帝国期の北東アジア

◎新資料の発掘・分析を通じて、モンゴル・高麗・日本三国間の政治的・文化的交流を明らかにする

著者 張 東翼
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 宋元
東洋史(アジア) > 朝鮮
日本史
日本史 > 中世
出版年月日 2016/02/25
ISBN 9784762965661
判型・ページ数 A5・350ページ
定価 本体10,000円+税
在庫 在庫あり
 

内容説明

【序章より】(抜粋)

この本は、十三世紀後半から十四世紀後半までの約一世紀における北東アジアの歴史、とりわけ大元モンゴル国と高麗および日本両国の間で行われた政治的・文化的交流に焦点をあて、新しい資料の収拾と分析に重点を置きつつ論述したものである。

  第一部「モンゴル・高麗・日本に関聯する新しい古文書資料」 大元モンゴル国が北東アジアで強い影響力を及ぼしている時期に、作られた外交関係の古文献について、筆者は近年きわめて有益な幾つかの根本資料を発見ないし再発見したが、それらを集中的に分析する。第一章「一二六九年大蒙古国中書省牒と日本側の対応」は、一二六九年(至元六、元宗十、文永六)六月、「大蒙古国」の中書省が高麗を経由して、日本国王(天皇)に発送した牒の内容とこれに対する日本側の反応を分析したものである。このモンゴル中書省の牒はそれと関連して発給された高麗慶尚道按察使の牒とともに古文書学的に注目されるばかりではなく、モンゴルの日本招諭の過程を理解するのに大きく寄与する資料であろう。この所在を明らかにしてこれに対する古文書学的検討を加え、モンゴルの日本招諭の状況とこれに対する日本側の対応を分析した。第二章「一三六六年高麗国の征東行中書省の咨文に対する検討」は、「庚寅年の倭寇」と呼ばれる一三五〇年(至正十、忠定王二、観応一)以来、日本の武装した人民[倭寇]たちによる本格的な大陸への侵入[前期倭寇]に対応した高麗が日本に送った咨文と、これに関連する古文書資料についての分析である。この資料は、醍醐寺の宝聚院に所蔵されていたが、現在その中の一部資料が行方不明になったと思われる。ところが同じ内容の一部が『太平記』に収録されていて、戦前の古文書整理によってその内容が収拾され、大体の輪廓は明らかになった。

 第二部「高麗人と元の文人との交遊」大元モンゴル国の支配下で行われた高麗人の中華領域への進出と、これを契機に展開した麗・元両国の文人らの交遊に関する諸様相について、より具体的に分析した各論である。第一章「新資料を通じてみた忠宣王の元での活動」は、元世祖クビライの外孫だった忠宣王王璋(一二七五~一三二五)の在元活動をテーマに、中国側の各種資料に収録されているものを抜萃・整理して再照明したものである。第二章「李斉賢および権漢功、そして朱徳潤」は、忠宣王が元に滞在した時の随従臣であった高麗人李斉賢および権漢功と江南人朱徳潤の交遊像を調べたものである。筆者はこれまで学界では全く知られていなかった新資料を紹介し、それに前後して忠宣王の門下に出入りした文人たちの交遊の状況を整理した。

 第三部「日本遠征の指揮官――金方慶と洪茶丘、そして戦争以後の麗 ・ 日関係――」これは一二七四年(至元十一、忠烈王即位年、文永十一)以来二次にわたるモンゴル襲来(麗・元連合軍の日本遠征)で、韓半島の合浦(現慶尚南道馬山市)から出発した東征軍(第二次遠征時は東路軍)の指揮官に対する分析がある。モンゴル襲来にかかわった日本側の人物に関しては、数多くの研究業績が蓄積されているにもかかわらず、侵攻軍の指揮官についてのアプローチはほとんどなかった。そこで高麗軍の指揮官たる金方慶と、モンゴルに帰附し帰附高麗軍を率いて参戦した洪茶丘の人間像、およびとその周辺について分析・検討した。第一章「金方慶の生涯と行蹟」は、高麗王朝がモンゴル帝国の圧制下に編入された時、栄辱をともにした人物に対する評価をどのようにすべきかについての筆者の所見である。第二章「モンゴルに投降した洪福源および茶丘の父子」は、東路軍のもうひとりの指揮官・洪茶丘の父である洪福源が、モンゴルに投降して遼陽地域に定着した以後の、洪氏一族の実状を検討したものである。第三章「十四世紀の高麗と日本の接触と交流」では先に十四世紀に成り立った麗・日両国に関連した記事を整理した。終章「今後の課題」。モンゴル帝国時期の北東アジアの交流史研究をより深めるためには、史料論的立場から新資料への接近とそれにかかわる情報の共有、そして学制間の研究が必須であることを具体的な事例を挙げて述べる。附録では、筆者が京都大学での研究過程において新たに収拾した資料の紹介・解題、および注目すべき内容について所見を提示した。第一章「京都大学所蔵の開仙寺址石燈記の拓本」は、一九三三年に建築学科の天沼俊一教授が採拓したものを検討した。第二章「一五七五年日本使臣団にかかわる古文書資料の検討――足利学校遺蹟図書館所蔵『続資治通鑑綱目』の褙接紙調査――」は、本論文の主題とはやや離れた時期と内容を扱ったものである。豊臣秀吉による壬辰倭乱(朝鮮侵攻)は、韓半島の歴史上においてモンゴル軍の侵入に続き、二番目に長期の戦争であり、この戦争がはたして誰の意思によって発したかを検定する一つの資料を提示する。

【主要目次】

序章 研究の対象と動向

第一部 モンゴル・高麗・日本に関連する新しい古文書資料

 第一章 一二六九年「大蒙古国」中書省牒と日本側の対応

 第二章 一三六六年高麗国征東行中書省の咨文についての検討

第二部 高麗人と元の文人との交遊

 第一章 新資料を通じてみた忠宣王の元での活動

 第二章 李斉賢および権漢功、そして朱徳潤

第三部 日本遠征の指揮官―金方慶と洪茶丘、そして戦争以後の麗・日関係―

 第一章 金方慶の生涯と行蹟

 第二章 モンゴルに投降した洪福源および茶丘の父子

 第三章 十四世紀の高麗と日本の接触と交流

終章 今後の課題

附録

 第一章 京都大学所蔵の開仙寺址石燈記の拓本

 第二章 一五七五年日本使臣団にかかわる古文書資料の検討

      ―足利学校遺蹟図書館所蔵『続資治通鑑綱目』の褙接紙調査―

 あとがき/初出一覧/引用資料目録/引用文献目録/資料名索引/英文抄録

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