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内閣文庫所蔵史籍叢刊 古代中世篇 3

内閣文庫所蔵史籍叢刊 古代中世篇

◎「内閣文庫所蔵史籍叢刊」古代中世篇③『明法条々勘録』・『公家新制四十一箇条』刊行なる!

著者 小口雅史 解題
鹿内 浩胤 解題
新井 重行 解題
高田 義人 解題
小倉 慈司 解題
ジャンル 日本史
日本史 > 古代
日本史 > 中世
シリーズ 内閣文庫所蔵史籍叢刊
内閣文庫所蔵史籍叢刊 > 古代中世編
出版年月日 2012/03/15
ISBN 9784762943027
判型・ページ数 B5・640ページ
定価 22,000円(本体20,000円+税)
在庫 在庫あり
 

内容説明

『明法条々勘録』 中原章澄著 興福寺大乗院旧蔵 暦応四年(1341)写 一冊 解題:小口雅史

日本では、養老律令以後、律令法が編纂されることはなく、中世公家法は、新たに随時発布された成文法や、法曹による律令法の拡大解釈(当時はこれを「法意」と呼んだ)、さらには不文法たる慣行や慣習法などを淵源として形成されていた。この『明法条々勘録』も、時の検非違使庁の庁務であった徳大寺実基の全一六箇条の諮問に対して、明法博士中原章澄が勘申したもので、内閣文庫に伝えられたものが唯一の伝本である。その書名は、この勘文を転写して学んだ人物による命名である。また中世の明法家には、坂上・中原の二流があるが、中世の明法関係史料の多くは、坂上家の家学を伝える『法曹至要抄』を淵源としている。それに対抗する中原家の学説を示す数少ない史料の一つがこの天下の孤本たる『明法条々勘録』であって、「わが法制史学界の至宝」「当代政治史の史料としても、重大なる価値を有する」(利光一九六四)と評価されている。奥書によれば本書の法解釈には、当時の明法官人が悉く賛同して署判を加えたとあり、当初から評価の高いものであった。

 

『公家新制四十一箇条』 興福寺大乗院旧蔵 康永三年(1343)写 一冊 解題:小口雅史

「新制」とは、天皇や院の意思にもとづいて、初期には太政官符、ついで宣旨ないし官宣旨、鎌倉末期以降は院宣によって発布された法令を指す。当初は主に倹約令を中心とするものであったが(水戸部が新制の初見とする天暦元年十一月十三日太政官符〈『政事要略』所収〉も服飾の過差についての禁制である)、やがて荘園整理なども新制によって繰り返し実行された。鎌倉期になって幕府も同様の「新制」を発布するようになり、それが「武家新制」と称されたので、天皇・院の発布したものは「公家新制」と称されるようになった。この弘長三年八月十三日宣旨(蔵人頭大蔵卿藤原(日野)光国奉による口宣様式)による「公家新制四十一箇条」は、そうした公家新制の特質を端的に示すものとしてよく知られている。

 

『法曹類林』 藤原通憲編 金沢文庫旧蔵 鎌倉後期写 三巻 解題:鹿内浩胤

『法曹類林』は平安末期に藤原通憲によって編纂されたといわれる法制書で、明法家による問答や勘文等が集成されている。本書が『通憲入道蔵書目録』に見えないことから、かつては彼の編著であることを疑問視する見解もあったが、この目録は通憲の蔵書ではなく、院政期の天皇家ゆかりの文庫の蔵書リストであるとの有力な新説が田島公氏によって近年提唱されており、ここでは『本朝書籍目録』の記載に従って通憲の撰と見ておきたい。本書は二三〇巻(一本に七三〇巻)に及ぶ大部なものであったが、現存するのは以下の巻のみである。

①巻一九二 寺務執行十七(国立公文書館ほか) ②巻一九七 公務五(国立公文書館・前田育徳会尊経閣文庫ほか) ③巻二〇〇 公務八(国立公文書館ほか) ④巻二二六 公務卅四(宮内庁書陵部ほか。『明法肝要鈔』に引用されたもの) ⑤巻次不明断簡(称名寺)

 

『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』 甘露寺家旧蔵 近世(十八世紀末)写 一冊 解題:小口雅史

伽藍縁起流記資財帳とは、寺院の建物、創立の由緒や経緯、また主要な寺財・寺宝などを列挙して実物と対照できるように書き上げたものである。「流記」とは、一般には、末尾に「仍為恒式、以伝遠代」などと記されることから、後世に伝える記録、ないし後世まで保管して永例とする資財帳のことと理解されているが、それだと 「伽藍縁起」と「流記資財帳」が「并」で並列的に記されていることにより、伽藍縁起を後世まで保管する必要がないかのようにも考えられる。そこで、「流記」を本資財帳にも随処にみられるごとく、資財の流動形態の記録と理解する学説もある(松田二〇〇一)。史料的には縁起類の成立の方が古く、推古三十二年(六二四)紀九月丙子条に「比曾寺」の縁起が利用されているのが初見であるが、その実在性は疑わしい(水野一九五七)。資財帳の初見記事は、大化元年(六四五)紀八月癸卯条に「巡行諸寺、験僧尼・奴婢・田畝之実而盡顕奏」とあるものであるが、これについても確証はない。ただ、縁起についてはおそらくは天武朝までには成立していたことが推測されている(水野一九五七)。

 

『広隆寺縁起』 林家旧蔵 明応三年(1494)写 一冊 解題:小口雅史

京都太秦の飛鳥時代創建という古刹広隆寺についての縁起の一つ。広隆寺の縁起ないし資財帳としては、いずれも九世紀後半の成立で現在も広隆寺に伝えられている『広隆寺縁起資財帳』『広隆寺資財交替実録帳』(いずれも国宝)、あるいは『朝野群載』巻二に引かれた承和三年(八三六、一説には承和五年)成立の『広隆寺縁起』が著名である。また中世になって作成された縁起としては『山城州葛野郡楓野大堰郷広隆寺来由記』があり(以下『来由記』と略称する)、これは『群書類従』巻四三〇、『大日本仏教全書』一一九寺誌叢書三に収められたためによく知られている。この『来由記』奥書には「明応八年己未七月上澣記之/権僧正済承春秋五十八」とあるから、同じ済承によって明応八年に書写されたのが本巻所収の『広隆寺縁起』(以下『縁起』と略称する)であって、両者には密接な関係があることが推測される。

 

『清獬眼抄』 紅葉山文庫旧蔵 江戸時代前期写 一冊 解題:新井重行

本書は検非違使の作法や装束等について、関係する書物や検非違使の日記等を引用してその前例を示したもの。書名の清は清原氏の意と考えられ、また獬は人の正邪をよく見分けるという想像上の獣「獬 豸」に由来し、法官の例えでもあることから、検非違使を意味しているのであろう。本文の冒頭に「凶事」とあることや『大夫尉義経畏申記』(群書類従巻百八)には正月一日の検非違使の装束等を本書より引用することから、もとは多岐にわたる大部の書と推定されるが、現存するのは凶事部の流人・焼亡のことのみである。五味文彦は、清原季光の孫にあたると推定される清原季氏が、鎌倉幕府の推挙によって検非違使となるべく鎌倉へ下る際にまとめたものとする(五味二〇〇三)。本書の内容上の特徴について、五味の検討を参考にしつつまとめると、①検非違使自身の記した記録をまとまった形で収めること、②検非違使に関する文書を多く収めること、また副次的なことではあるが③治承元年の大火における被災の様子を記した京図を収めることなどが挙げられる。

 

『外記宣旨』 押小路家旧蔵 江戸写 一冊 解題:高田義人

外記の奉じた宣旨を中心として、史の奉じた宣旨・太政官符・口宣案・勘文などを類聚し編纂した書である。古写本には鎌倉時代の書写とされる財団法人布施美術館所蔵『外記 宣旨第十』一冊(以下布施本と称す)があり、広橋家旧蔵と伝えられている。当本を布施本と比較すると、字配り等が若干相違するものの、傍書・省略箇所・欠損箇所等が合致することから、布施本を江戸期に書写したのが当本とみてよい。したがって本来の書名は「外記 宣旨第十」ということになる。本書の全体像は未詳ながら残存した第十は、①院号事、②后宮事、③妃女御更衣事付女御宣旨事、④親王年給別巡給事付女御、⑤臣下年給事、⑥五節二合事の項目を立て、貞観六年(八六四)~建保二年(一二一四)に及ぶ六十数通の文書を収載する。その内容を項目ごとに見ていくと、①は女院号宣下とその待遇に関する宣旨がほとんどである。②はすべて中宮職を皇后宮職とする宣旨、③は天皇の外祖父平清盛及び外祖母時子を三宮に准じる待遇とする宣旨と、内親王二人を三宮に准じる待遇とする宣旨の全二通である。④は妃・女御・更衣の補任に関する宣旨、⑤は親王・内親王などの巡給・別巡給に関する宣旨、⑥は大臣以下参議以上の者が五節舞姫を献じた場合に二合を給うことを定めた宣旨である。全体として女院・后妃・女官に関する文書が多いのが特徴と言える。所収文書の多くは、管見の限りでは本書のみに見られる文書であり、これが本書の史料的価値を高めている。

 

『官位相当』 押小路家旧蔵 江戸写 一冊 解題:小倉慈司

公家社会における官職に関する故実を記した書。江戸期の新写本であるが、以下に述べるように注目すべき記事が含まれている。内容的重複が見られることより判断して、親本(もしくは祖本)は草稿段階の未定稿であったか、あるいは二つ以上の異なる書を合写抄出したものであったと考えられる。内容的には令宗允亮が関わる記事が多く見られ、允亮本人かどうかはともかく、少なくともその周辺の人物が本書の編纂に関わっていた可能性が高い。今後、『政事要略』との関係も含めてさらに検討していくことが求められる。

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