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内閣文庫所蔵史籍叢刊 古代中世篇 5

内閣文庫所蔵史籍叢刊 古代中世篇

「内閣文庫所蔵史籍叢刊」古代中世篇⑤『教訓抄(舞楽雑録)』・『久安五年記(台記)』ほか刊行なる!

著者 池和田 有紀 解題
木村 真美子 解題
石田 実洋 解題
小倉 慈司 解題
新井 重行 解題
尾上 陽介 解題
高田 義人 解題
ジャンル 日本史
日本史 > 古代
日本史 > 中世
シリーズ 内閣文庫所蔵史籍叢刊
内閣文庫所蔵史籍叢刊 > 古代中世編
出版年月日 2013/08/12
ISBN 9784762943041
判型・ページ数 B5・562ページ
定価 22,000円(本体20,000円+税)
在庫 在庫あり
 

内容説明

『教訓抄(舞楽雑録)』 鎌倉写 二巻 中御門家旧蔵 解題:池和田有紀

本書は、楽曲の奏法や伝承、故実などについて記したもので、南都の楽人狛近真(一一七七~一二四二)の著作である楽書『教訓抄』を抄出・再編した一書である。収録曲は皇帝破陣楽(前欠)・団乱旋・春鶯囀・胡飲酒・迦陵頻・菩薩(以上地巻)・玉樹後庭花・賀殿・北庭楽・承和楽・一団嬌・武徳楽・河曲子・酒胡子・酒清子・羅陵王・新羅陵王・十天楽・最涼州(以上天巻)の一九曲で、このうち菩薩の内容が、地巻の巻末から天巻の巻初に続くことから、もとは地巻・天巻の順で一巻を成していたものが、現在の形に分巻された際、巻序を誤られたとみられる。地巻は前欠。本書は『教訓抄』と趣を異にし、『教訓抄』が、狛氏嫡家相伝曲・

他家相伝曲の順に曲を分類、記述するのに対し、本書はおおむね曲の調子(とくに壱越調と沙陀調)ごとにまとめて記す。内容にも適宜省略や改変が加えられていることから、単なる抄出本ではなく、『教訓抄』の再編本と位置づけることもできよう。  

『太政大臣上表次第』 鎌倉時代後期写(自筆原本)一軸 洞院実泰著 押小路家旧蔵 解題:木村真美子

本書は、鎌倉時代後期の公卿・洞院公守(一二四九~一三一七)の太政大臣上表にあたって準備された儀式の次第を中心とする記録である。本書の構成は、まず「御装束儀」として、当日までに準備された大炊御門殿寝殿の室礼、続いて当日の上表儀式の次第を記し、さらに「勅答儀」として、上表に対する勅答を持参

した勅使を迎えての次第を記している。本書は実泰が父公守の太政大臣上表の儀式のために事前に準備しておいた次第に、儀式の実際を書き加えたものといえよう。

『任太政大臣年々』 鎌倉時代後期写 一軸 中御門家旧蔵 解題:木村真美子

本書は、基本的には平安時代前期の藤原良房から鎌倉時代後期の藤原公守に至る太政大臣四四名の歴名と注記からなる勘例である。但し、巻頭に見える追記を含めれば四七名となる。内容は、各人について名前と任命の年月日のほか、前官、任命時に摂政関白であったか否か、誰を超越したか等が記されている。藤原兼家以降については、任太政大臣大饗の有無、大饗における尊者の官と名前、上表の年月日、上表における勅答儀の有無等が小字で加えられたようである。また、摂関家の人々については、前官が薄墨で抹消されており、上表の年月日が記されない。上表年月日は、藤原実行以降、最後の洞院公守に至るまで清華家出身者にのみ記されている。ただし、清華家でも、藤原頼実と源通光に記載はない。

『任太政大臣内弁尊者例』 鎌倉時代後期~南北朝時代写 一軸 押小路家旧蔵 解題:木村真美子

本書は、首題によれば、太政大臣任官のための儀式の責任者たる内弁、およびそれに伴って行われる饗宴の正客たる尊者について書き上げた勘例ということになる。はじめに太政大臣任官の年月日、ついで任人の官職と姓名が書かれ、同時に他の大臣になった者のある場合はあわせて記載される。そのうえで、内弁・尊者や饗所などが書かれている。さらに、後に異筆で宣命使や不審な点についての注記が加えられたものである。本文は、康保四年(九六七)の藤原実頼からはじまり、文治五年(一一八九)の藤原兼実の事例までが残っている。

『大将拝賀記』 室町時代写 一冊 小槻兼治・同彦枝著 押小路家旧蔵 解題:石田実洋

室町将軍が右近衛大将に任じられた後に行った拝賀儀についての部類記。右大将は源頼朝の武官としての極官であるが、鎌倉幕府の将軍や室町幕府の初代将軍足利尊氏・第二代義詮にはこの官に執着した形跡がみられない。しかし、永和四年(一三七八)八月二十七日、第三代将軍足利義満が二十一歳にして右大将を兼ね、翌康暦元年七月二十五日にその拝賀を行うと、以後第九代義尚までこれが恒例となった。本書は、前述の義満の拝賀儀に関する小槻兼治の記録、および応永十三年(一四〇六)八月十七日に右大将を兼ね、翌年七月十九日にその拝賀を行った義持の例に関する小槻彦枝の記録を収め、さらに後者には、奥書をはさんで同儀に参仕した公卿・殿上人等の歴名を付す。

『飾 抄 上巻』 文明十八年頃写 一巻 源通方著 押小路家旧蔵 解題:小倉慈司

本書は主に平安後期から鎌倉前期にかけての装束について使用例を挙げつつ解説を加える。通方は暦仁元年(一二三八)一二月二八日に没しているが、同年(嘉禎四年)三月までの例が挙げられており、薨去の直前まで手が加えられたものであったらしい。三巻よりなり、上巻は袍や下襲等衣服について、中巻は冠・烏帽・剣・平緒等身具、下巻は礼服や近衛次将の甲、小忌、乗物具等について取り上げる。当写本は上巻のみ。当該期の貴族の装束を知る上で重要な書であるが、本書には「或人衣抄」「或人書」「或古老抄」等の引用も見え、著述にあたっては現在は散逸している先行書も参考にしたようである。

『任槐大饗部類記』 鎌倉時代写 一巻 中御門家旧蔵 解題:新井重行

本書は寛治三年正月に予定されていた堀河天皇の御元服に際し、加冠を務めるために同二年十二月に太政大臣に任じられた摂政藤原師実の任大臣大饗にかかる諸記録を部類したものである。

『二六事中』 室町後期成立 二冊 解題:尾上陽介

朝廷の故実について諸書より抜き書きしたもの。著者を示す確証はないが、室町後期の廷臣、権中納言鷲

尾隆康(一四八五~一五三三)と考えられる。記事は上下冊とも「天地」以下の項目に分けられ、基本的に章段ごとに合点が付されている。各冊の項目名と章段数は次の通りである。上冊天地5官位8文武17礼楽12 神仏10/下冊天地2官位3文武2礼楽1神仏0吉凶0)

『久安五年記(台記)』 鎌倉後期~南北朝期写 一巻 藤原頼長著 中御門家旧蔵 解題:石田実洋

平安時代末期の公家藤原頼長の日記『台記』から、久安六年(一一五〇)正月に挙行された近衛天皇の元服儀に関わる記事を抄出した写本。第一紙は久安五年十月六日条の二行のみで、第二紙・第三紙には同月二十三日から十二月三十日条までが、第四紙には久安六年正月四日条・五日条・七日条が書写されている。末尾の第五紙は、「貴札之趣謹承/候了所労猶同体/間心苦存候/抑彼素懐事自/去年聊雖申入候/無勅許候事而先日/御免之間一昨日□□」という書状断簡であるが、これが何故本書に貼り継がれているのかは不明である。参考図版として『塵芥記』のうち文明十六年記の巻尾に貼り継がれた「中右記」を付す。

『御脱屣記』 南北朝期写 一巻 押小路家旧蔵 解題:高田義人

本書は永観二年(九八四)の円融天皇から花山天皇への譲位、長和五年(一〇一六)の三条天皇から後一条天皇への譲位、延久四年(一〇七二)の後三条天皇から白河天皇への譲位に関する部類記である。表題の「脱屣」とは、天子が執着無く帝位を退く意で、譲位のことを指す。所収記事は次の通り。

A 『野右記』 永観二年八月二十七日・九月九日・同十八日/B 『権記』 長和五年正月二十九日・同三十日

C 『野記』 長和五年正月二十九日・二月十四日・三月二十四日/D 『左経記』 長和五年二月十三日・四月七日

E 『〔水左〕□□記』 延久四年十二月八日・同十二日・同十六日・同二十四日

これらの記事は太上天皇の尊号を奉る儀・上皇移御・院司補任などの譲位に伴なう諸儀を内容としている。

『建長以前行幸部類』 鎌倉時代写 一巻 押小路家旧蔵 解題:石田実洋

本書は、まず冒頭に個人名を掲げ、それに続けて記録を引用するという形式を採り、全体としては、

①「実定」(徳大寺実定)治承二年 正月四日 朝覲行幸

②「西園寺殿」(西園寺公経)承久元年 十二月二十八日 東宮入内

③「常葉井入道相国」(西園寺実氏)貞応元年 八月二十二日 御方違行幸十月二十三日 御禊行幸

④「実基」(徳大寺実基)仁治三年 十一月十四日 御方違行幸

⑤「冷泉相国」(西園寺公相)建長三年 正月八日 御方違行幸

という内容構成となっている。ここで注目すべきは、①から⑤の冒頭に掲げられているのが閑院流藤原氏の西園寺・徳大寺両家に属する人物であること、そのうち徳大寺家の二人は実名が掲げられ、西園寺家の三人の名には尊称が用いられていること、さらにこの五人のいずれもが当時近衛大将であったことであろう。また記事の内容は、行幸あるいは行啓に関する記録から、供奉した大将以下の装束についての記述を中心に抜き出して部類したものとなっている。

『堀河院鳥羽院元服記部類』 鎌倉末~南北朝頃写 一巻 中御門家旧蔵 解題:小倉慈司

堀河天皇および鳥羽天皇の元服に関する記録を集めた部類記。当写本に収録される日記およびその年月日

は以下の通りである。

・経信記(帥記)寛治二年一〇月二一日、一二月二日・二八日、三年正月四日

・為房記(大記)寛治二年一〇月二一日・二五日、一二月七日・九日

・右御記(時範記)寛治二年一〇月二一日、 一二月二日・七日・一九日・二八日

・大外記師平記寛治二年一二月二日・九日・一四日・一八日・一九日・二五日

・中右記天永三年一〇月九日・一六日

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