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汲古選書60 中国の愛国と民主

章乃器とその時代

汲古選書60 中国の愛国と民主

現代中国を知るために――愛国と民主という二つのキーワードの検討から、複雑に絡み合う中国社会の内実に迫る

著者 水羽 信男
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 近現代
シリーズ 汲古選書
出版年月日 2012/10/17
ISBN 9784762950605
判型・ページ数 4-6・266ページ
定価 3,850円(本体3,500円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに 
 序 章 
第一節 本書の課題 第二節 本書の方法
 第一章 章乃器の初期思想の形成
問題の所在
 第一節 銀行家から第三勢力のリーダーへ 第二節 章乃器の中国社会認識
第三節 章乃器の変革構想 
 第二章 救国会運動と章乃器
問題の所在
第一節 救国会運動の展開過程 第二節 章乃器の民衆動員論の構造
第三節 章乃器の民衆動員論の位相

第三章 抗日戦争と章乃器
問題の所在
第一節 重慶における章乃器の思想と活動 第二節 民主建国会の成立と章乃器
第四章 民主建国会と章乃器
問題の所在
第一節 戦後内戦期における章乃器 第二節 一九四九年革命後の章乃器・民建と共産党
第五章 社会主義への転化と章乃器
問題の所在
第一節 社会主義改造の進展と章乃器 第二節 言論の自由化政策と章乃器
第六章 反右派闘争と章乃器
問題の所在
第一節 反右派闘争の開始 第二節 上海民建の章乃器批判とその意味
終 章
第一節 章乃器の愛国と民主 第二節 反右派闘争後の章乃器――中国知識人の陥穽
第三節 残された課題――胡子嬰『灘』との対話
参考文献・あとがき・索 引

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内容説明

【本書より】(抜粋)

アヘン戦争の敗北以後、抗日戦争に勝利するまで、侵略を被った戦争すべてに敗れ、一九四五年以後も長く後発国として、貧困問題を抱えてきた中国の近現代史を貫く基本的な課題とは何だったのだろうか。この点について筆者が支持しているのは、次のような立場である。今日まで続く中国の政治的課題とは「国民国家」(Nation State)の樹立、すなわち国境によって区切られた一定の領域内において主権を行使し、国家のために死を選びうるほどの帰属意識(Identity)をもった国民によって支えられる国家の樹立である。中国では一九二〇年代以降は、その課題を強力な行政力を有する政党国家(Party State)によって実現しようとしてきた。中国国民党(以下、国民党)と中国共産党(以下、共産党)は十数年にわたり二度の内戦を戦ったが、ともにレーニン主義的な政党を標榜し、国民政府時期(一九二八~一九四九)の中華民国とそれ以後の中華人民共和国において、三権分立的な国家制度とは異質の一党独裁政治を生み出した。こうした歴史的背景を踏まえなければ、現代中国の異質性だけが過度に強調されることになりかねないだろう。たとえば二〇〇九年パリのオークションで話題となった「円明園一二生肖獣首銅像」の問題も、競売に付された鼠と兎の像を、第二次アヘン戦争時に英仏連合軍が略奪したわけではないことだけに着目すれば、中国人の愛国心の「滑稽さ」がクローズアップされる。だが英仏両国が清朝との戦争を強引に起こし、円明園を無残に略奪した事実が、その「滑稽さ」で消えるわけではない。まして侵略されたという中国人の屈辱の記憶が消え去るわけでもないことは、我々にも容易に想像がつくことであろう。現代中国を理解するうえで、近代中国の歴史的理解――それは事実の問題であるとともに、歴史がどのように理解されるのか、という認識の問題でもある――が不可欠である。二〇世紀中国との連続と断絶の歴史的理解を前提としてこそ、我々は先入観(ときにそれは「常識」と主観的には理解される)無しに、現代中国と向き合えるのではなかろうか。・・・愛国と民主とはかたく結びつくことで、強力な政治力を発揮するとともに、ときに矛盾し対立しあう複雑な関係を持っていた。それゆえに筆者は二〇世紀中国の政治史を理解するうえで、愛国と民主という二つのキーワードの検討が必要だと考えている。今日の中国においても、この二つの問題を軸としてさまざまな政治的な対立が生じている、といっても間違いではなかろう。この問題を本書の分析の基軸におく所以である。

本書では今日の中国政治の原型を作りだした一九三〇~五〇年代を中心として、具体的には章乃器(一八九七~一九七七)をとりあげる。彼は国共両党から相対的に自立した知識人(第三勢力)の代表人物の一人であり、本書では彼の愛国と民主をめぐる思想と行動に即して考察を進めることとする。こうした作業は中国をより深く理解することに役立つだけでなく、世界史的な問題の所在を指し示すことにも、つながってゆくだろう。なぜならば、二〇世紀における侵略と抵抗、伝統と近代、東洋と西洋といった大問題は、二元論的な単純化による歪みも孕みつつ、いずれも中国を重要な舞台の一つとして論じられてきたからである。

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