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逸脱と啓示

中国現代作家研究

逸脱と啓示

『懺悔と越境――中国現代文学研究』に続く「作家研究」なる!

著者 坂井洋史
ジャンル 中国古典(文学)
中国古典(文学) > 近現代
出版年月日 2012/12/07
ISBN 9784762929908
判型・ページ数 A5・470ページ
定価 本体12,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

第一章 周縁からの啓示 ――陶晶孫、あるいはディアスポラの言語体験
第一章補論 元宝に答え、「文学史」叙述のアポリアを論ず――「文学史」 は可能か/如何にして可能か
第二章 〈窃視/監視〉、あるいは闇夜に棲む「主体」――郁達夫を巡る覚書
第二章補論 武田泰淳・主体性・公共空間
第三章 逸脱の彼方へ――初期郭沫若の小説を巡って
第四章 露骨と含蓄、あるいは旧体詩の綴る恋愛ドラマ――王礼錫「風懐集」から考えたこと
第五章 「忘れられた作家」孫俍工、あるいは「文学史」の限界  補遺 孫俍工とアナキズム
第六章 「侵入」の寓話――巴金『憩園』論
第七章 〈書くこと〉を「書く」ということ――巴金、許欽文、彭家煌、茅盾、あるいは虚実の弁証法   
 初出一覧及び書誌解題・あとがき・索引  

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内容説明

【本書 より】(抜粋) 

本書は「中国現代作家研究」を副題に掲げているが、「文学」が学術研究の対象になって以来、その「研究」を分野してきた、「文学史」、「作家論」、「作品論」、「言説研究」といった体例/傾向における、世上所謂「作家論」とは、恐らく趣を大きく異にしていよう。その釈義は、凡例に属する説明として巻首に置くべきものかもしれないが、劈頭に歴然と標識を貼り、以下おもむろに内容を開陳する大仰さには些か気が差すので、あとがきとして書き添えることにする。

  作家論という研究の一般的な体例は、判明する限りの作家の伝記的事実を確認した上で、作家の思想/審美傾向の、〈生成/発展/変化/成熟〉の過程を追跡し、そのような過程の各時期を点綴する「事実」として作品を作家の生涯に位置づけるものであろうが、本書はそのような評伝風のスタイルを採らない(旧稿をアダプトした第七章第一節は、巴金の生涯の全般を視野に収めて「全体」を論じようとする際に採るべき構えについて述べたもので、他の各章とはやや異質かもしれないが、それでも精々作家論を本格的に展開するに先立っての「序論」とでも呼ぶべきものである)。各章の基調を成すのは主としてテクスト分析であって、それはむしろ「作品論」とするのが適切であるかもしれないが、扱っているテクストは大体において複数に及び、しかも「かく読めり」という閲読の跡を示すに止まらず、閲読をその先で「文学史的興味」としか呼びようのない関心と結びつけようとしている以上、「作品論」からはやはり「逸脱」する体裁に違いない。そもそも私は本書を、二〇〇五年に上梓した『懺悔と越境――中国現代文学史研究』の「続編」として意識しており、一度は副題を「続・中国現代文学史研究」にしようかとすら考えたことであった。本書が結局「作家研究」を名乗ったのは、私が本書を前著の「続編」と考える企図に由るものであり、即ち私にとってはその「企図」こそ重要なので、副題の「名」が「実」に添うか否かはいずれ枝葉に属する問題と考えられているのである。……私は作家にせよテクストにせよ、それらを個別の対象として眺めるだけでは気が済まない、複数を並べ、束ねて、そうした挙句に浮上して来る景色を鳥瞰し、出来ることならばそこに何らかの「意味」を見出したい。このようにいえば、本書が作品論、テクスト分析の性格を濃く帯びながら、しかし副題にはやはり「作家研究」を持ち出した、その理由の、少なくとも一部に代えることが出来るだろうか。前著と本書が正続の関係にあるという、両者の関連性についても、私のそのような関心の在り様から説明出来ると考える。前著が、「文学史」という、複数の現象を並べ、束ねて成るストーリー、それを支えるプロットを如何に構えるか、第六章で巴金『憩園』に関して用いた表現を援用すれば、理念としてのみ想像され得る、文学に関わる森羅万象を網羅した「全体」に、「思惟の鑿」を揮う作業の手前にあるべき覚悟と予想を多様な切りから提示した、つまりは原則の確認だったというなら、本書で行ったのは、それを設計図とした、細部の肉づけ作業ということになろう。

私は両者が相俟って、前述「景色」の印象に、より鮮明な輪郭を与えるだろうと考えているのだ。

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