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語り物「三国志」の研究

語り物「三国志」の研究

小説のルーツ「講唱文学」に分け入る意欲作―語り物・小説・戯曲を多角的に考察し、白話文学の全体像に迫る!

著者 後藤 裕也
ジャンル 中国古典(文学)
中国古典(文学) > 明清
出版年月日 2013/01/10
ISBN 9784762929885
判型・ページ数 A5・328ページ
定価 8,800円(本体8,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序(井上 泰山) 
 序 章 本書の研究対象とその方法
 第一章 概説および先行文献
先行研究/語り物概説―鼓詞を中心に―/『三国志平話』/『花関索伝』
第二章 車王府曲本鼓詞「三國誌」成立考(一)―底本について―
車王府曲本について/『演義』の系統と「三國誌」/毛宗崗本の影響/挿入詩について
第三章 車王府曲本鼓詞「三國誌」成立考(二)―挿話について―
「斬熊虎」/「厳剛」/「白猿教刀」
第四章 車王府曲本鼓詞「三國誌」成立考(三)―省略について―
漢室に関する省略/呉に関する省略/魏に関する省略/末尾三巻における省略
第五章 租賃本「三国志」鼓詞について―傅図本を中心に―
傅斯年図書館蔵租賃本「三国志」について/「三國誌」との類似例/「三國誌」との相違例/
挿話にみる両者の関係
第六章『新編繪圖三國志鼓詞』 について―「三國誌」との比較―
『新編繪圖三國志鼓詞』の版本について/毛宗崗本との関係/語り物の痕跡/読み物としての『新編繪圖
三國志鼓詞』
第七章「斬貂蝉」故事について
「連環計」から「斬貂蝉」まで/戯曲に見える「斬貂蝉」/語り物に見える「斬貂蝉」
第八章「単刀会」故事について
雑劇「単刀会」の特徴/清代語り物にみる影響関係
第九章「斬蔡陽」故事について
『演義』における「斬蔡陽」/戯曲における「斬蔡陽」/語り物における「斬蔡陽」/『平話』における
「斬蔡陽」
第十章『三国志平話』成立に関する一考察―白抜きの小題を端緒として―
小題の機能/小題の分類/小題の問題点/残された問題
終 章 結 論/おわりに 
初出一覧・主要参考文献・あとがき・中文提要

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内容説明

【序章】より(抜粋) 

中国の近世白話文学作品についての研究は、短編の話本や四大奇書に代表される章回小説を中心に、その本事や構成手法はもとより、作者や登場人物の形象、さらには使用されている方言まで、実に様々な角度から研究が推し進められてきた。また、戯曲においても本事や演変、人物像などの面で同様に研究が進められ、やはり「三国志」の物語に取材した戯曲作品について言えば、とくに小説との関係に重点を置いて論じられてきた。しかし、小説や戯曲の母胎と目される語り物についての研究は、従来よりその重要性は指摘されてきたものの、実際にはようやく端緒についたばかりである。その最も大きな原因として、語り物作品は、そもそも文字化されることを念頭に置いて創作されたものではないため、研究するにも常に絶対的な資料不足であった点が挙げられる。本書は語り物「三国志」、とりわけ清代中後期に河北地方で流行した鼓詞を研究対象の中心に据える。まず、ここで本書における「語り物」の語義について明確にしておきたい。現代中国語で用いられる「曲芸」という語は、二十世紀半ばに造られた「唱曲」と「売芸」の合成語であり、いわゆる雑伎までをも含む、あくまで便宜的に用いられた術語であったらしい。ただ、それがまもなくしてもっぱら「唱曲」を指す用語として市民権を得るようになり、そのまま現在では「説唱文学」と同義の語として定着している。では、その「説唱文学」とは何を指すのか。中国では古くから、聴衆を相手に演奏にのせて、物語をあるいは語り、あるいは歌う芸能が連綿と行われてきた。それらが多く散文の「説」と韻文の「唱」により構成されることから(本書ではこれを韻散混淆体と称する)、これを「説唱文学」、あるいは「講唱文学」の名で呼ぶ。しかし、これとまったく同じ事象を表す日本語の語彙は、厳密には存在しない。そこで本書では、この「説唱文学」に「語り物」という訳語を与えることとする。本書で扱うのは、すべて「三国志」の物語に取材した語り物作品である。では、なぜ「三国志」ものに焦点を当てるのか。その理由をいくつか挙げておくと、第一に相対的に資料が豊富であることが挙げられる。現在でも目にすることのできる語り物作品は、「三国志」もの以外でも相当数ある。しかし、語り物にのみ焦点を絞るのでは、当然それ自身についても十分に論ずることは不可能と考えられるのであり、語り物が白話文学の母胎であるならば、おのずと小説や戯曲も視野に入ってくるはずである。そこで、小説として集大成された『演義』、および多くの三国劇作品が現存する「三国志」ものこそ、語り物以外の資料とそれに対する研究の蓄積がある点で、その条件を満たすのである。第二に、語り物「三国志」は、最も長く広く愛されている作品の一つであるということである。白話文学研究が、これまで小説と戯曲にのみ重点を置いて進められてきたことは否定のしようがない。いわば非常に偏りのあるものであった。本書は、語り物を新たな視座として設定し、そこから小説と戯曲を眺めることで、これまでの三国物語に関する研究をさらに一歩推し進めようとするものである。このような視点から三国の物語を再照射することで、新たに明らかになることも多いと思われる。

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