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詩集日本漢詩 (6)草廬集・北禅詩草・北禅遺草・淇園詩集

詩集日本漢詩 (6)草廬集・北禅詩草・北禅遺草・淇園詩集
 

内容説明

(6) 「草盧集」 初編~七篇三十六巻二十一冊龍草盧撰 享和元年~3年刊 龍草盧(1715-1792) 名は公美、字は子玉、 伏見の人。 宇野明霞に学び、 彦根藩儒、 のちに京都に住み幽蘭社を主宰。 草盧については 「先哲叢談」の記述により悪評が高かった。 例えば人の求めにより詩文を書くとき、 必ず謝礼の多少を定めた云々など現代では当たり前のことが当時は批判された。 しかし最近の研究では高く評価されてきている。 膨大な詩集を残した江戸時代のしじんとしては彼の右に出るものはいない。「北禅詩草」 六巻六冊大典禅師撰 寛政4年刊 「北禅遺草」 八巻四冊大典禅師撰 文化4年刊 大典禅師 (1719-1801) 名は顕常、 梅荘・焦中・東湖と号す。近江の人。 宇野明霞・釈大潮に師事。 『文語解』など漢語語釈書や茶経に関する著作がある。 「淇園詩集」 三巻三冊皆川淇園撰 寛政4年刊 皆川淇園 (1734-1807)名は愿、 字は伯恭、 京都の人。 亀岡藩儒。 経学特に易学に精通し文字学にも造詣が深く、 詩文についても一家をなす。

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